藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

戦略なき若者(2)

思えば、大企業であれ中小であれ、その会社に入社して働くことに違いはない。
そのための人員の選考の性質も似たようなものである。

また、逆に多くの先輩たちの意見を聞いてみる。
多くの先達は言うだろう。

「最初から決まったいい仕事なんてない。」
「その仕事を自分の物にするかどうかは自分次第である。」
「実はどんな仕事についても、それほど結果に大差はない。変わるのは自分の態度である。」

どれも人生の機微を経験し、実務で得た真実の言葉だろう。
つまり、あまり「見かけのよさそうな仕事」を目指しても、結局真剣に苦労せねば身に付かないし、ひとかどの結果も出せないよ」
というようなことを先輩たちは言うばかり。
まあそういう事なのである。

就職活動を、ちょっと要領よくかまして、就職戦線の荒波を乗り切ったつもりでも、社会の波はそれほど甘くない。
強いて言うなら、そんな荒波に「自分で進んで出て行った人」と「知らぬ間にはまっていた人」の積極性の違いくらいだろうか。

急がば回れ
「上達に王道なし」
真言はいつも面倒くさいものである。
が、それでしかない、というのも事実だろう。

マジに向き合うこと

さて、結局学生さんが「あわよくば」と思っていた要領の良い道などはなかった。
ならば、いよいよ「正面から向き合う」しかない。
ここで若さのアドバンテージが効いてくるのだ。

若いのだから、一生懸命やることについて、躊躇することはない。
職種だって、営業だろうが、総務だろうが、制作だろうが、まあなんでもよい。
ともかく、その仕事にマジになれば、「その先」は開けてくるものである。
世の中は、そんな仕組みになっていると思う。
また、後輩にいくら言って聞かせても、そこまででしかない。
助言は幾らもできるのだが、覚悟し、決心して行動するのはあくまで本人でしかない、ということもまた事実。
もどかしいが、いかに目をかけた後輩であれ、実の子であれ、できることはそこまでである。

とかく近道を探したり、より華やかな世界を夢見たり、それこそが若さの象徴なのかもしれない。
けれど、一通り逡巡したあとの覚悟ができるのは本人だけである。

就活相談をもらう中で、あまりに同じことを感じるのでこんなところに書いてしまった。
何かが就活生に伝わるといいのだけれど。