藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最適な課題。

ここ数日経験と成長、のような話をしているが、そもそもは音楽の上達に端を発する。
それをビジネスとか日常とかに置き換えて考えてみたら、なるほどと思えることがいくつもあった。

ビジネスでは、いわゆる「リスクテイク」である。
成功している企業ほど、危ない橋は渡らない。
新しいことをしよう、という気性があっても往々にしてそれが「社運をかけた決断」にはならず、怪我もせぬが薬にもならない程度のの範囲でとどまってしまう。

また、最近の大企業の躓きのように「本業の勝負処」を間違えてしまい、本社の屋台骨が傾くケースも同じ事だろうと思う。
「過去の成功体験の応用」ばかりを考えているうちに、「未知のもの」への対応ができずに斃されてしまうマンモスの図、である。

つまり、経験があればある程「自分の危険水域がどの程度か」を知っており、つまりあまりリスクのある行為そのものをしなくなる。
音楽なども同様で、まず自分の力量を知らなければ、とんでもない難曲とか、まだ習得していない技術を要する作品に挑み、何年たっても仕上がらないことがある。(特に素人に多いと思う。自分もその一人だが)

だが、社会を知らぬ中高生が難しいビジネス書を鞄に入れて喜んでいるようなもので、実は「実力と課題」がバランスしていない。
それを解決するのは良い師につくしかないが、自分ひとりだけでやっている場合には、なかなかブレイクするきっかけはつかめないものだと思う。(だから○○道、には必ず師がいるのだろう)

そして、より難しいのは巷のビジネスとか、人間関係とかについてである。
これらは、時代と環境によって随分と携帯形態が違ってくる。
戦後の高度成長期、はかつて一回しかないし、また少子高齢化の日本、というのも初めて。
「常に流転」しながら変ってゆくことに対応せねばならない。
そんな環境の中で「自分に程よい負荷をかける」ということがいかに難しいか、ということを書き留めておきたかったのがここ数日の連載の目的だった。

ほぼ決まった道程のある「○○道」の修行でさえ、適切な指導者がいないと何年も足踏みしてしまう。
(この足踏みは、あまりその後の成長に役立たないところが悲しい)
ましてや正解のない実社会では、自分にどのような負荷をかけてゆくのか、という判断は実に重要であり、また難しいことを痛感する。

だからこそそれができれば、まだまだいろんなことを吸収できる素地もあるのだと思う。
今の自分にとって最適な課題は何か? を日々考えてみたいと思う。