藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

IPOはなれ。

DELLMBOが話題になっている。
コーポレートファイナンス企業統治ではいつも先をゆくアメリカの、またしても「次の一手」である。
「株主重視、四半期決算、コンプライアンス偏重など制約の多い公開企業」というのは、ついこの間までは「優良公開企業」の常套句であった。
それがついに「経営の足かせ」になっているという。
さもあろう。
「公開企業」という錦の御旗のもと、必要以上に透明であることを義務付けられたのである。
一般の市場から出資を受け、経営に使うということがどれほどの手間とコストを必要とするのか、ということをここ10年の公開市場は明らかにしてきたといっていい。
つまり、「会社の経営に大きな資金調達を必要としない」のならば、市場にIPOし、不特定の株主に向けて詳細なドキュメントを作り続ける、ということは避けるべきなのだろう。

そうでなくとも、意思決定には時間がかかる。
これは企業規模が大きくなれば指数的に時間を食うものである。

現代の経営の強みの一つは「スピード」である。
公開企業はこの点でどうしても中小に劣る部分がある。
「一番に名乗りを挙げた者」と「二番目以降」では雲泥の差が出るのも今の時代の特徴である。

公開企業を目指すのではなく、強い企業を。
つねに経営者の判断で「トライ&エラー」を繰り返すことのできる土壌こそが必要になっているのではないだろうか。
IPOだけが流行った時代はついに終わりを迎えるのだと思う。

米の同族企業人気に学ぶ 日本の「大胆な改革」
2013/2/6 9:45ニュースソース日本経済新聞 電子版
 近年、米ハーバード大卒業生が非公開企業や同族企業に就職するケースが増えている。株主重視、四半期決算、コンプライアンス偏重など制約の多い公開企業では、最高経営責任者(CEO)も2〜3年契約。CEOが変われば、社内の雰囲気も別会社のごとく変わり、実質転職したかのような錯覚にさえとらわれる――。これは筆者が実体験で痛感したことだ。
 「最高執行責任者(COO)とCO2は『削減対象』」と皮肉られるほど経営陣のステータスも不安定だ。中期経営プランでさえ毎年書き換えられる。短期的な業績追求が優先され、長期的ビジョンは描けない。コンプライアンスも度を越すと、組織図で現場の社員1人に対して点線のレポーティング・ラインで3人ものスーパーバイザー(お目付け役)がつくほどだ。
 人事評価も「減点パパ」方式になりがちで、社内のイノベーションの芽も摘まれる。社内リスク管理も、あまりに厳しくすれば社員は「おみこしをかつぐふりをする」傾向が強まる。まともに社内でおみこしをかつげば、キャリア・リスクが増すだけだ。部門によっては、「まともにおみこしをかつぐな」と「社内指導」される例さえある。トップが最も恐れることが、「頑張りすぎ社員」による意図せざる情報漏えいリスクやレピュテーション(風評)リスクだからだ。
 筆者が目撃した例では、ふだん極めて冷静な部長をある日訪問すると、見るからに取り乱し顔面が蒼白(そうはく)になっている。何事かと知り合いの女性社員にそっと尋ねたら「秘書が私用の携帯電話を紛失した」からだという。その携帯に社内関連情報などは一切残っていなかったのか? 社長に「君、大丈夫だろうね」と念を押されれば、部長は、その挙証責任を負わされたようなものだ。その社長でさえ、CCO(チーフ・コンプライアンス・オフィサー)には一目置かなければならない。
 このような経営環境に対する反動として、新卒があえて「同族企業」を志向する傾向が生まれるのだ。
 6日の日本経済新聞朝刊が、米デルがMBO(経営陣が参加する買収)によって非上場化すると1面で報じている。「経営改革大胆に」という見出しで、創業者マイケル・デル氏と米投資ファンドのシルバーレイク・パートナーズがデルの全株式を共同買収し、非公開会社にする。株価動向や株主らの意向に左右されずに、大胆な経営改革を進められる環境を整える――と書かれている。
 いま、日本企業の「成長戦略」にはまさに「大胆な企業改革」が求められている。金融政策が非伝統的なものに転換しようとするなか、企業経営も非伝統的な手法を選択する覚悟がなければ長期間の「デフレ漬け」からの脱却はおぼつかない。安倍晋三政権の経済政策、アベノミクスでも「起業家精神」を生かす成長戦略が肝要となる。
 ただし、外からの監視にさらされないと社内の規律が緩むリスクがあるため、非公開企業の経営は「性善説」に立たなければ成り立たない。中小企業ともなれば、創業社長による「体罰」経営も珍しいことではない。それでも、長期経営ビジョンがぶれないメリットを重視する「就活」傾向は、今後もより顕在化するのではなかろうか。