藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

傾聴の効用。

自分はあまり人と話さぬ方だが、それでもちょっと興に乗ると非常に饒舌になる。
というのはやはり「話したい、聞いてほしい」という衝動の表れなのだろうか。
周囲を見回してどちらが多いか?と見てみれば「聞いてほしい、話したい」という人が圧倒的に多い。
これは男女を問わない傾向のようである。

「死ぬ準備をしていた」という宮城の女性。(何と淡々としているのだろうか)
その人が話をただただ聞くうちに、うつが晴れていったという。

「傾聴するということが、これほど治療的効果をもち、深い信頼関係を築くのだということに改めて気づかされました。」

こういう話に触れると、「傾聴」ということがただ日常の行動ではなく、相手のためにずい分と「ためになる行為」なのかもしれないと改めて思った。

好き嫌い、にかかわらず「聞く機会」を増やすべきなのかもしれない。
それはそれで大変なことなのだけれど。

話を聞くという「治療」
 「先生、実はね、私、死ぬ準備をしてたのよ」と私に語った女性がいました。2011年8月、宮城県仮設住宅でのことです。
 その夏から、PCATという医療のボランティア団体で、私のような家庭医や看護師、薬剤師、臨床心理士らによる「お茶っこ健康相談」という会を仮設住宅で始めていました。
 「お茶っこ」とは東北弁で茶飲み話のことです。9か月間で12回開催し、計500人以上の被災者の相談にのりました。
 私が驚いたのは、みな語りたい、語る相手を欲しているということでした。中には2時間くらい話し続ける人もいました。
 私たちは言わば部外者です。でも医療の専門家、心の専門家が話を聞いてくれる、ということが安心感を与えたのでしょうか。私たちはとにかく話を聞き続けました。そのことを通して、傾聴するということが、これほど治療的効果をもち、深い信頼関係を築くのだということに改めて気づかされました。
 「死ぬ準備をしていた」と打ち明けた女性は、その後2回、3回と会ううちに、表情が明るくなり、うつ状態は改善していきました。地元の保健師と連携しながら、このような方を多く見守り、ときには医療機関へつなげるという活動は、家庭医の私には実にやりがいのあるものでした。
 活動を終えた後、仮設住宅自治会長さんから手紙が届きました。「私たちが自立することが、支援をして下さった皆さんへの恩返しです。見ていて下さい、必ず自立してみせます」。もうすぐ、あの震災から2年がたちます。これからも被災地を応援し、見守っていきたいと思います。(孫大輔、家庭医療専門医)

(2013年2月14日 読売新聞)