藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

脅されない力。

これまでも何度か「有事にこそ冷静さを保つ」ということが非常に重要な能力だ、というようなことを書いたことがあるけれど、最近さらにそう思う。

最近、若い人の悩みを聞くにつけ強くそう思うことが多いのである。
「それ」で頭がいっぱいになればなるほど、「周囲が見えなくなり、正常な判断ができなくなる。」そして、それ故に「解決への道」から遠のくことになるのである。
困ったことに、「自分の脳内空間」ではこれに気づけないのだ。

日本が開戦に突っ込んだり、また戦争から撤退できなかった理由もこうした「冷静視力」の問題だったと思う。
最後の最後、物事が終わる瞬間まで、常に第三者の視点を持つ、ということは頭の隅に置いておいて損はないと思う。

進学に悩む受験生。
就職に悩む学生。
高級官僚志望に悩む受験生。
職種に悩む社会人。
会社や転職に悩む社会人。
結婚に戸惑う女性。(男性はなぜかあまり聞かない)
家族に悩む男性。
老後に悩む中年。
親の老後、介護を考える壮年。
経営に悩む経営者。

みな「その問題」に頭が占有されていることが多い。
当たり前である。
どれも自らの人生を左右するような問題ばかり。
受験。
就職。
結婚。
扶養。
子育て。
介護。

だから、よき先輩に相談などしながら、いろんな角度の検討をして、「得心した上で」先の選択をしたいものである。
お話を聞いていて思うのは、その当事者はもう「ある考えに凝り固まって」しまって、他の考えやアドバイスを受け入れようとしない。
「私はこうなりたいのに。」の一点張りで、あまり相手の話を聞かないことがとても多い。
「私は東京に行きたい」
「私はデザイナーになりたい」
「私は通産省行きたい」
「私は結婚したい」

その強い思いを叶える上でも、「今自分の置かれている状況」とか「将来へ向けて必要なこと」を冷静分析することは非常に重要なことなのである。

「まず、"こうしたい"という我欲を一旦放して、自らを見つめてみる力」を養うことを意識してみてはどうか?

としつこくアドバイスしていると、瘧が落ちたように晴れやかなメールが来ることも多い。
「まず、慌てない。」という当たり前のようなお話でした。