藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自国を規定するもの。

保有国の言い分を聞いていて、自国の統治にも大変苦労している様子がうかがえる。
その国独自の事情は歴史的なこと、民族的なこと、宗教的なこと、いろいろ事情があるだろう。

国の政治はまず国民を食べさせること。という至言があるが、まさにそういうことで、究極そのために色々と腐心しているのが政治なのである。

ことこの21世紀に、自国のさらなる利益だけを拡大するために、闇雲に他国を侵略し、植民地化する国はない。(当たり前か)
けれど、隣国とかあ地中海の南部とか、ある特定の地域ではそんな争いは未だ続いている。

結局「自国」つまり「自国のアイデンティティ」を持つための戦いをしているように見えるのである。

聖地の奪還、とか民族の弾圧、とかまた内政での勢力争いとか。

「そういうこと」を通じてでないと「自分は何者か」ということを他に示し得ない、というそういう思いの表れの行動ではないだろうか。

常に周囲との軋轢を起こし、威嚇し、また国内に対しては「外敵の存在」をアピールし、リーダーの存在を誇示する。
それらの行動の一つ一つが、「自らでは"自らを定義し、示す"こと」ができない国の苦肉の策だと思えるのである。

まるで幼子が周囲の子たちと喧嘩し、親や大人たちの言うこと全てに反抗することで、なんとか自分の存在を示そうとしているようなようすに酷似しているではないか。

こうした国に対しては、冷静に、毅然と、しかしその国の「国格の成熟を促す」ような外交政策が必要ではないかと思う。
核開発には大規模軍事演習、という縮図ではお互いに挑発し合うばかりなのではないだろうか。