藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

もしそれがあったら。

若いということはお金がない、ということだろうか。

ある先輩が言った。
「十代は一文無しでも当たり前。だが年を取ったら惨めになる」と。

もう自分の年齢になると、「年金の破たん」だの「定年後の年金支給65歳までの空白の五年」だのといった話題も他人事のような感じがしない。
あまりひもじいのも困るが、あればあったでどの程度必要なのか。
お金とは不思議なものである。

給与の振り込まれる銀行以外に残高などなく。
生命保険も損保にも入らず。
毎月の収支はいつもプラスマイナス0。
そんな20代から段々年を取ってきた。

貯金が0の頃には「100万円あったらどうするか」などとは想像もできなかった。
物欲が勝つ若いころなれば、欲しいものを買えばそれで物心共に満足したのだろうが、もうそんな年でもない。

100万円も1000万円も1億円も、想像は可能である。
何か人の大きさとでもいうか、そうした「もし自分が○○だったら」ということを想像力たくましく考えてみる、というのは実は器を広げる上では案外大事なことかもしれない、と思う。