藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

有名税。

yomiuri.onlineより
週刊誌が元AKBアイドルのセクシーコラージュで提訴されたという。
主訴は「パブリシティー権の侵害」ということだが、それまでは野放しにされていたところになぜ注目が集まったのか。
このパブリシティー権は「著名人の販促の目的で自らが独占的に利用できる権利」ということだが、一方「法律には明確な規定はなく、裁判所の判断の積み重ねで認められてきたもの」だともいう。

著名人の保護される権利をどこまで認めるか、ということだが「著名になり販促をする」ということと、著名になるという言葉の意味は「目的外の利用は一切許さない」というのも少し傲慢ではないかと思う。
騒がれてナンボ、というのが著名人でもあると思うのである。
そのくらいは有名税では、とも思うのだがディズニーなどは自己のキャラクターの特にポルノ的な表現に対しては断固たる態度で臨み、またそのことは業界にも知れ渡っているという。

つまりはその法人とか、業界の団体として「ブランドの価値」をどのような位置に求めるか、ということがはっきりしてくれば、おのずと目的外利用か否か、という曖昧な構図にも輪郭が見えてくるのではないだろうか。
AKBさんたちは自分のブランドのイメージに照らしてこれからも態度表明をされるとよいのだろう。

最高裁は、判例で、「著名人は、社会の耳目を集めることで、時事報道、論説などの正当な表現行為で氏名や肖像を使われるのは一定程度、受忍すべき場合もある」とも指摘し、表現の自由へも配慮しています。

(77)おっぱい妄想許せない…あっちゃんら8人が提訴
元AKB48の前田敦子さんら女優8人が「週刊実話」発行元の日本ジャーナル出版などを相手取り、8800万円の損害賠償を求めて提訴したことが、芸能マスコミ業界で注目されています。

問題になったのは、同誌(2013年11月21日号)の記事『勝手に品評!! 芸能界妄想オッパイグランプリ』。

記事では、その女優8人の写真の胸のところに乳房のイラストなどを貼り付け、そのバストについてスタイルなどからあくまで想像で「品評」していたといい、原告側はそれが、「アーティストの写真に人格を傷つけるような加工をほどこした」とし、「パブリシティー権の侵害」にあたると主張しているのです。

女優と性的妄想を結びつけたこの手の記事は、いわば実話誌の十八番ともいえるもので、ほぼ毎号のように掲載されていたものでした。

そして今までタレントや事務所側もほとんど野放しにしていたものでした。

それが今回、訴訟沙汰になったということが注目の1点。そしてもう1点はそれが「パブリシティー権の侵害」にあたると女優側が主張していることなのです。

パブリシティー権拡大で週刊誌ピンチ

今回は後者の「パブリシティー権」を巡る経緯に注目しましょう。そもそも「パブリシティー権」とは、著名人の氏名や肖像は、顧客を引きつけて商品の販売を促進する場合があり、著名人がこれを独占的に利用できる権利(2012年2月2日最高裁判例)とされています。しかし、法律には明確な規定はなく、裁判所の判断の積み重ねで認められてきたものです。

元々はタレントの写真を無断使用したブロマイドやカレンダーを販売することなどがパブリシティー権の侵害とされていました。しかし、まだ提訴の段階とはいえ、マスコミの論評記事が対象となったことに週刊誌関係者とその周辺には衝撃が走っています。

今回の原告には多くの芸能事務所が加盟する業界団体、一般社団法人日本音楽事業者協会も加わっています。つまり、芸能事務所の側としては芸能人の写真の好ましからざる使用について一層厳しく臨んでいく姿勢が明確になったのではないかと。

それは性的妄想記事にとどまらず、ゆくゆくはゴシップ記事もその対象になってもおかしくないと危惧されているのです。

週刊誌が芸能人のゴシップ記事で使う写真の多くは、イベントや記者発表で撮影されたもので、別趣旨の記事に使うのは厳密にいえば目的外使用なのです。

事務所と週刊誌も大手同士なら持ちつ持たれつのところがあり、いままでなら目的外の使用にとやかく言われることはありませんでした。しかしパブリシティー権については著名人側の権利をより広い範囲で認める傾向にあり、どこかの事務所がイベントなどで撮影した写真の「目的外使用」はパブリシティー権の侵害にあたると主張したら厄介なことになってきます。

もちろん裁判所の判断がすべてですが、週刊誌にとっては訴訟沙汰になるということ自体が脅威であります。またもし、タレントの顔写真が掲載できないとなれば、記事のインパクトが半減してしまいます。

最高裁は、判例で、「著名人は、社会の耳目を集めることで、時事報道、論説などの正当な表現行為で氏名や肖像を使われるのは一定程度、受忍すべき場合もある」とも指摘し、表現の自由へも配慮しています。

週刊誌出身者としては、表現の自由は何より尊重されるべきものと認識しています。しかし同時に、「正当な表現行為」の範囲内で記事を作っていくことを今後はより一層心がけていく必要があると考えております。