藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ただの反省を超えて

以前に自分の選択を「正解にする力」のようなことを書いたこと、のちょっと補足をさせてもらう。
自分が下した選択のうち、特に失敗や物にならなかったことについても、そこから何か教訓を見出し、失敗を糧にすることが重要だ、というようなことなのだが。

もう少し。
失敗したら、失敗したなりにつなげる力、というか気力というか。
転んでもただでは起きない、的な。
もう執念のような。
自分の歩んだ道、そのくらいの「しつこさ」みたいなものも必要ではないか、というようなことが言いたかった気がしている。
今の時代、物事の進むスピードはとっても速く、別に'失敗'と結論が出ないでどんどん過ぎてゆくことも多い。
そうして古いものにはどんどん関心が薄れ、しまいには記憶もなくなり、また似たようなチョイスをしてしまい、というようなこともあるような気がする。
「気がする」とか言っている時点でもうかなりそんな感じの生活スタイルが染みついているんだなあ、ということであろう。

くよくよして、次の一歩を踏み出す気になれなかったり、また反省が足りずに同じ轍にはまってしまうのも勿体ない。
単なる反省ではなく「どんな失敗だって次につなげてやるぞ」という反省力よりももう一歩上の粘着質なスキルを意識してみることが必要ではなはいのか、と自分自身に思ったのであった。
そんな意識を習慣にして身につけるべく、どんな方法があるのかを自身でもう少し試行錯誤してみたいと思う。
この件もまたエントリーします。