藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分を規定するのは何か。

就職や転職の相談を受けていて、しみじみ感じるのは「"自分の足で立つ"ってことはつくづく大変なことなんだ」ということである。

何も「自分で生計を立てること」ばかりが大変なのではない。

大変なのは「考える幅」なのではないだろうか。(なにそれ)

より高度なことを考える、というよりは「どれだけの幅(とか懐で)相手をイメージできるか」というような、いわば「イメージ力」というようなものではないだろうか。
最近の新書ブームでは○○する力と、何でも「力」の例えにするのには違和感があるけれど。

結局は柔軟性とか素直さとか。
昔小中学校の先生が言っていたようなことに先祖帰りしてしまうけれど。

「営業なんて"モノ売り"でしょ。つまらない」という考えの幅と、「すべての道は営業に通じる」という考え方では白と黒、というくらいに物の見え方が違うだろう。

つまり「考えの幅」を意識してどれだけ広げられるか、というのは一つの着目点ではないかと思うのだ。
多くの就職とかまた転職の動機、というのはどうもこの「幅」と関係があるように思う。
今の自分が抱える問題の原因を「自分に求めるか、他人に求めるか」という点で、人の行動は相当違ってくるのではないだろうか。
永遠に他人に「帰責を求める人」はあまり環境が改善しないようだし、また過剰に「自己責任を問う」という人は病んでしまうことも多いようである。
(つづく)