藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

中華再考。

と言って「中国飯店」とかいった高級店ではない。
ここ十年くらい、「週に一回は新しいお店に行く」ということを信条にしている。
夜の日高屋とか、夜のプロント(さらにプロン党という10%割引のカードもある)とか。
夜7時までのハッピーアワーとか。
"付き出し"に大皿の焼き魚や煮物が出てくる居酒屋とか。
料理店には実に様々な特徴があり、また没個性の店も沢山ある。

居酒屋、焼き鳥、もつ焼き、イタリアン、ワインバーなど一通りめぐっていたけれど、最近「大衆中華」という分野が面白い。
まずどの地域に行っても「皆無」ということはない。
けれど「美味しい大衆店」もまた少ない。

良くも悪くも主人の経営方針、がそのまま見えるのである。
その意味では居酒屋などよりもより「独自性」が強いのではないだろうか。
よくオーナー兼シェフの営むフレンチとかイタリアンではメニューのない店がある。

お客と相対で、その日の食材の仕入れ具合と、客のお腹や予算とを相談しながら料理を決めてゆく。
多分「食べ物屋さんの究極の姿」だろうと思う。

そこには家族のような関係があり、ヘンなクレーム客もいないし、頑固なオヤジ料理人もいない。
お互いが、実に自然に会話しながら食べ物、飲み物を決めてゆく。
料理人とは実に奥の深い職業だと思う。

それはともかく。
街の中華屋さん、は圧倒的に自分で自店を経営している人が多い。
シェフ=オーナー=店長である。(ここに奥さんとかがホールにいると非常にコスト競争力が強くなる)
あとはその料理人のセンス次第が直接料理に現れる。
まぁ何か「一品を」食べただけでその中華屋が真面目な店なのか、そうではないか、というのは分かってしまう。
中華料理屋というのは、数は多いが非常に厳しい分野ではないだろうか。
例えば餃子。
6-7割の店は、「普通かそれ以下」だと思う。

だがたまに「パリッとしていたり、ジューシーなコクのある餃子」に出会うと途端にその店の評価を上げたくなるのである。
何を食べても超一流、という大衆中華料理屋は、大田区に一軒あるらしいが、なかなか巡り合うことは難しい。
しばらくは町の中華屋巡りが、自分のテーマになりそうな気がしている。