藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分を規定するのは何か。

考えの幅、というのを意識して意識してみる。(なにそれ)

"考えの幅"は柔軟性がとーっても高い。
何せ「自分の気持ちの限度次第」で、理論上「無限に広げること」が可能である。
(何かそんな風に考えると、この世から戦争とか争いとかも無くなるのになぁ、とちょっと青いことも考えてしまうくらい、「まぁええやろ」という(ちょっと関東の「ま、いっか」とニュアンスが違うのだけれど)感覚は、特に「自分にない性質を持つ異物」に対しては、重大な要素なのではないかと思えてきた。)

『人間は個性と自我で出来ている』とは言い過ぎかもしれないが、「相手の許容力」というのは相手そのものを受け入れ、飲み込みながら「さらにその先」を考える秘密兵器のような気がするのだ。
おっと兵器、というのもよくないねー。

ことは勝ち負けではないのだから。

この「勝ち負け意識」と「許容(受け入れ)」の関係が、結局自分たちのふるまいとか、人間性とかを規定しているように思うのである。

「無限の"幅"の先」に何があるのかはまだ見えていないけれど、なるたけ「広く、ひろく」と心掛けていこうと思う。
視野は実際に見える範囲、も重要だが、「思考の視野」についての意識をぜひ考えて行こうと思う。

何か目覚ましい進展があれば、また報告させていただきます。