藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

本当の進化へ

「より速く、より大量に、より身近に」というキーワードに関係するものを除く。
ここ数世紀で世界的に人口は増え、いわゆる先進国の人の寿命は倍くらいに伸びたけれど、それは何か根本的な変化と言えるのだろうか。

人がおよそ100年くらい生きるとして、そんな単位でみて過去から未来を眺めても何か「人が変わったね」という指摘はどの程度のものなのかと思う。
ここ2000-5000年くらいのレンジでみても、冒頭のキーワードを意識すればあまり人の本質は変わっていないように見える。
コンピューターという相当に複雑なものを見ているとそんな事が頭をよぎった。

ニュートンが人間を例えて「砂浜の波打ち際で、貝殻を見つけて喜んでいるようなもの」と言ったらしいけれど、「技術と人」とか「文明と人」とか「国と国民」とか大きな関係ではどれほどの事がこれからに期待できるのだろうかと思う。

現実の進歩を軽んじて見るつもりはないけれど、技術とか経済とか政治とかが「人にとっては何なのか」という疑問には解答が見つからない。
人は哲学でそういうことも含めて長く考えてているが、今の時代にもそんな視点が必要な気がするのである。

自動車業界のカリスマエンジニアに聞いたら「エンジンとか、自動車というのはそれ自体で生きも物のようになってしまったモノなのだ」と仰っていたが、それでもまだ人は「生命」を人工的作り出すことは出来ていない。
精子卵子を保存する技術は研究されているが、本当に「人が人を変える時期」というのは人が"命"を作り出すことを実現する時なのかもしれない、と思うのである。

カトリック的には「神の所業」ということらしいけれど、本当の「技術の特異点」というのは人がそんなことを出来るようになった時を言うのではないだろうか。
そんなために「技術」があるのだとすれば、その大いなる歩みのために日々努力していることは無駄ではない。
インターネットも医学もひょっとしたらそんなプロセスのための「ワンフレーズ」なのではないだろうか。