藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

目的は何か

糸井さんのブログより。

 あんまりすべてを失うようなことでは困りますが、
 儲からなくてもいいのです。
 むろん、やってみたら赤字にならなかった、
 というのは大歓迎ですが、
 そのこと自体を目標にしなくてもいいのです。
 考えることや、元手を出すこと、実行することを、
 寄付したと思えば、赤字でもオッケーです。

自分が社会人になってしばらくして。
一番「えっ?」と思った言葉の一つは「ビジネスモデル」だった。
今ではごく普通に使われているけれど「商売のモデル」という表現に違和感を覚えたのである。

ビジネスのモデル、といういい方に「こうすればお金だけが儲かりますよ」というような利益至上主義の匂いを感じたのだ。

別に「商流」という日本がある。
これには「モノやサービスを提供し、結果お金が流れる」というニュアンスがあった。
それに比してビジネスモデルという表現にはどこか「お金の流れを図式化する」という感じがあった。

 じぶん自身も含めて、誰もよろこばないことでは、
 そもそも、はじめる意味がありません。
 よろこんでくれる人は、いなきゃねぇ。
 でも、最初から大歓迎されたり拍手されたりしなくても、
 いずれよろこんでもらえることならいいでしょう。

商売の本質とはこうしたものだと思う。
「利益や手数料の取り方」を主流に考える思考法は、結果支持されにくいのではないだろうか。

・「やったほうがいいこと」って、これからは、
 行政と、非営利組織と、企業と、個人とが、
 それぞれにあんまり境目なくやっていく時代に
 なるんじゃないかと想像しているんです。

これは「どんなビジネスモデルですか?」というのとは反対の発想だ。
「やった方がいいかどうか。」
企業は利益ありきでしかない、という考え方よりはバランスが取れていると思う。
関係者の誰かが「ずっと損ばかりしている」のでは続かない。
同時に「どうやっていつもいつも儲け続けているか」という発想では永続性を欠くのに違いない。

「喜ばれるかどうか」つまり望まれていることかどうか、を起点に考え、「それで利益を出せるかどうか」を次に考えることをしないと「手数料こそが目的」のいわゆる"ビジネスモデル"の話になってしまうのではないだろうか。
商売をしたり起業をする上で、「まず優先する大事な物」を考えておかないと主客転倒を招く。
「商いありき」というよりは「求められるものありき」が商売の本質ではないだろうか。

・儲からなくてもいいと決めたら、
 あなたは、どれだけの仕事を考えつきますか。
 そして、それを実行できますか。

 あんまりすべてを失うようなことでは困りますが、
 儲からなくてもいいのです。
 むろん、やってみたら赤字にならなかった、
 というのは大歓迎ですが、
 そのこと自体を目標にしなくてもいいのです。
 考えることや、元手を出すこと、実行することを、
 寄付したと思えば、赤字でもオッケーです。
 
 じぶん自身も含めて、誰もよろこばないことでは、
 そもそも、はじめる意味がありません。
 よろこんでくれる人は、いなきゃねぇ。
 でも、最初から大歓迎されたり拍手されたりしなくても、
 いずれよろこんでもらえることならいいでしょう。
 
 こうやって考えていくと、
 そんなの簡単だと思えなくなるのではないでしょうか。
 むろん、「しかも儲けなくてはいけない」が、
 もうひとつの条件としてついていたら、
 とんでもなくむつかしいと思います。
 だけど、「儲からなくてもいい」ということになっても、
 あんまり簡単にはならないんですよね。
 
・「やったほうがいいこと」って、これからは、
 行政と、非営利組織と、企業と、個人とが、
 それぞれにあんまり境目なくやっていく時代に
 なるんじゃないかと想像しているんです。

 ずっと、はっきりした根拠があるわけじゃなく、
 たどりつく地点のイメージだけがあることを、
 気仙沼のビジネスホテルの隅で書き出してしまいました。

 「ソーシャルビジネス」とか言われている領域と、
 「東日本大震災」以来の、さまざまな人たちの活動と、
 ただただ、「いちばんいい方法は?」を考えることと、
 じぶんの「やりたくて飽きないこと」を探すことが、
 あちこちで渾然と渦巻きになっているように思えます。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
考え途中のことですが、なんだか大事なことのような‥‥。