藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

揺れる中年。

先日、旧友たちが酒場に集まり、ふとしたことから「能力とは何か?」という話題になった。
なぜなら三十年来の知り合い同士が、昔と今とを比べて価値観の三十年対比を始めたからである。
すかさず一人が「何をするための能力のことだ?」と言いさらに「能力というのは"そのこと"をする性能、のような単純なものだろう。」と言う。
もうすでに出だしから新橋サラリーマンの戯れ言そのもの、といった感じなのだが、
(だから若い人は進路とか将来の目標とか、あまり悩みすぎることはない。50を超えたオッサンが束になってこんな議論をしているのだから)
大企業の社長こそいないものの、エリート校や欧米留学組、弁護士に医者、高卒ドロップアウト、学生起業家と顔ぶれは多様だったけれど、実に「若輩者の意見交換」といった趣きだった。

で冒頭の、能力というのは「社会で成功するための能力を指す。」ということになった。
当然すかさず先の彼が「社会での成功とは何なのだ?」と突っ込み(こういうキャラクターなのだ)、今度は活発に「金だ」「女だ」「やりがいだ」「地位だ」「趣味だ」「安寧」「成功してない」「うーむ」と返事が乱舞する。
「つまりは自分の納得ってことか。」
「まっ、そういうことかな。」
合計300歳は超える男たちが集まって、そんな程度の会話でお開きになった。

・「かっこいい」のが職業の人がいる。 
 登場しただけでキャーなんて言われちゃうアイドルとか、
 スポーツのスター選手とかは、そういうものだ。
 
 「見た目がきれい」という職業の人もいる。
 同じように「かわいい」のが職業になっている人もいる。
 「やさしい」のが職業の人たちもいる。
 いわゆる「いやし」だとか言われるものや、
 「おもてなし」だとか「気のつく」だとかも職業になる。
 「ヘンなやつ」が職業になる人もいたり、
 「毒舌」や「強面」が職業になっている人だっている。
 
 いまの時代、「頭がいい」が職業の人は、けっこう多い。
 なにをしたとか、なにができたかの前に、
 「頭がいい」という評価を受けていることが職業になる。
 これは、たぶん「力が強い」だとか、
 「からだが丈夫である」なんかよりも、
 そこで働いている人の多いジャンルである。
 
・「かっこいい」が職業の人は、
 「もっとかっこいい」の人が商売敵になるだろう。
 そして、職業的な能力を磨くためには、自ら
 「もっとかっこいい」「最高にかっこいい」を目指す。
 いつでも、なにが「かっこいい」か、
 そして、なにが「かっこいい」と思われるかを考えて、
 それを実際にやってみせるのが職業的な使命になる。
 そして、そうした職業的な「売り」のところが、
 「その人」であるかのように、記録され記憶される。
 
・「ほんとは、そんな人じゃないんですよ」と、
 家族やともだちは、思っているような気がする。

 職業的な能力として見せていたところが、
 ぜんぶ無かったとしても残っている「その人」。
 もっと、ださかったり、ろくでもないところも含めた、
 いわば「ただのその人」のほうが、「その人」だ。
 かっこいいだの頭がいいだのも、おまけみたいなものだ。

 新年にしみじみと、好きな人たちのことを考えていた。
 すごいところは、ぜんぶ、おまけなんだと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
だけど、おまけでメシが食えてるものだから悩ましいよね。