藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

種が大事。

昨日の続き。
もう人生で50回余り大型連休を迎えているわけだが、進歩に乏しい。
二十代のある年は「速読をマスターする」とか
スペイン語をマスターや」とか
日本書紀読破」とか
「古典派・ロマン派音楽の勉強」とか、いろいろ勇ましいタイトルが浮かぶのだが、終わってみれば虚しい。
連休が終わった時の虚無感は何度味わってもモノクロな景色です。
それはともかく。

この歳にしてお恥ずかしい限りだが、まず「リズミカルに過ごす」こと。
子供のように、休み前になると夜更かしして普段見られない映画とかを無理に見ようとする。
「消費の欲望」が勝って、結局生活のリズムが乱れる。
「お休みだ」というと、夏休み中の小学生のように「やりたいこと」と実生活が別々に動き出してギャップを生むのだ。

反面、昨日の話で「やったつもりのことでも、まだこれからのことでも"何でも完成途上でしかない"」と思えば、連休が終わったとて気持ちが途切れることはない。

人は何か「終わり」が見えないと息苦しいし、終わって「解放されたい」という当たり前だけれど、無意識の欲求に縛られている。

物事に「一区切り」をつけるのはとても大事なことだと思うが、区切りは終わりではないのだ。

だから「自分が発案して、自分が推進してきたこと」でも、自分だけで「潰(つい)えてしまう」ことはない。

世の中に必要な「思いつき」は誰かがどこかで思いを継いでくれるものだと思う。

そうすると「そんな思いつきの発端」をできるだけ多く思いついて、残すことが自分たちの出来ることではないだろうか。
結果はともかく、まずその「種」を探して植えてみる。
連休を前にそんなことを考えています。
何かのきっかけになれますように。