- 作者: マックス・H・ベイザーマン,アン・E・テンブランセル,谷本寛治,池村千秋
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2013/09/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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国土も狭く、島国で村社会。
侵略との歴史も関係しているだろう。
そして文化も経済も政治も、色んなことが「世界的に交わって」きた。
欧米に合わせたり、新興国のルールを考慮したり、何にせよ「日本の理屈」だけでは生きにくい。
目標制度とか業績連動とか、組織の考え方もいろいろあるけれど、自分はやっぱり性善説を推したい派である。
本コラムを読んで考えた。
(粉飾会計は)
「創造的な会計」により利益を追求した結果、気付いたら違法行為に手を染めていたのです。
当事者からすれば、自分の取った行動は結果的に「不適切」であったかもしれませんが「悪意」はないのです。
本書はこうした「悪意のない人たち」に、性善説は通用しないと言い切っています。
悪意はないが、ルールに触れること。
結局そのバランスのためにこそ、ルールがいるということか。
倫理の死角(2) 気付いたら不適切行為 悪意のない人に性善説は通じない
2016/8/23付
性悪説に立って社外取締役によるけん制を強化せよという議論に対し、日本の経営者の多くは違和感を覚えるのではないでしょうか。性悪説は個人主義の強い米国で、スター経営者に高額の報酬を与えて短期業績を競わせる場合にはフィットしますが、日本のように終身雇用の世界で、社員やメーンバンク、系列などとの長期的関係を気遣いながら経営する場合には当てはまらないと考える人が多いからです。
その一方で、性善説に立ってお任せのままでは株主も社会も納得してくれない時代になってきました。日本企業の自己資本利益率(ROE)が諸外国に比べて低い中で、「悪いことをしない」だけでは責任を全うしていることにならないという議論があるからです。
幸い日本には「論語と算盤」という考え方があります。倫理とビジネスにおけるパフォーマンスは両立できるという渋沢栄一の思想です。本書の言わんとするところは、最後はここに行き着くのではないかと考えます。しかしその前に、性善説の限界についてみてみましょう。
倫理学は社会人として自立していく上で重要な学問です。何が正しいことなのかを教えれば、善意を持った人が育つという考え方に立ちます。しかし、本書は何が正しいか知っていることと、実際に正しい行動を取ることとは全く別であるといいます。それは、大学の図書館で借りたまま返却されない本は、倫理学の本が一番多いということからも分かるようです。
巨額の粉飾決算が発覚した米エンロン事件に関わった経営者らに、違法な意図があったわけではありません。「創造的な会計」により利益を追求した結果、気付いたら違法行為に手を染めていたのです。当事者からすれば、自分の取った行動は結果的に「不適切」であったかもしれませんが「悪意」はないのです。本書はこうした「悪意のない人たち」に、性善説は通用しないと言い切っています。
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