藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

活字で学ぶか、人から学ぶか。


六平直政さんの記事より。
最近強く思うのだけれど、「知っているか未知か」とか「経験したか初めてか」とかいうことで、自分の行動とか言動はずい分違う。
つまり「知っていたり、経験アリ」ということについてはかなり固定的に断定してしまい、あまり疑おうとしない。
ステレオタイプだ。

知識や経験が培ってくれたそういう「知恵」のようなものは大事だし、むしろ自分と子供の違いは"それ"でしかないのかなぁとも思うのだけれど、特に「新しいもの」に対するとかにはこれが邪魔をする。

しかもタチが悪いのは「自分ではそう頑固だとは思っていない」ことにある。

老害だ。
だから、ちょっと弱腰だと思われても「相手はどうなの?」ということを尊重するようにしたい。
「正解を教え、導く」というのは先輩として大事なことだと思うけれど、そこに短絡的な「思考のショートカット」があれば、結果良くないと思うのだ。
だって先輩に「それは失敗するぞ」とか「行け!」と言われると、自分の心が救われる気がするけれど、ちょっと"それ"頼みにして勢いつけてるようなことがあるし。
決断は自分でしましょう。

俳優・六平直政さん 価値観の押しつけ嫌った父|エンタメ!|NIKKEI STYLE
それでも親子
俳優・六平直政さん 価値観の押しつけ嫌った父
2017/1/25 日本経済新聞 夕刊
 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の六平直政さんだ。

 ――六平家は代々お寺の住職を務めてきた。

 「おやじは33代続く秋田県由利本荘市の超光寺という寺に長男として生まれました。でも、弟に住職を譲って、東北大学で美学を専攻、その後東京に出て都立高校の英語教師になりました。一方で、美学者の阿部次郎氏に弟子入りし、文芸雑誌に関わっていました。付き合いは広く、教え子もよく訪ねてきて、正月はいつも酒宴でにぎわっていましたね」

 ――子どもの教育には信念をお持ちだった?

 「5歳下でダウン症の弟が小学校に上がるときのことです。学校から養護学級に入れるよう言われましたが、武蔵野市教育委員会に乗り込み、『義務教育の間は普通の学級で学ばせる』と主張したそうです。健常者も障害者も共に暮らすのが一般社会。その縮図が公立小中学校なのだから、そこに行かそうとしたおやじの判断は正しい」

 「俺に関しておやじは、自由にさせてくれました。高校3年の時に突然、美大に行って彫刻をやりたいと言っても反対しなかったんです。彫刻を大学院までやって、周囲が美術の世界で食べていくのだろうと思っていたときに、劇団に入ったんですが、そのときも反対しなかった」

 ――お母さんはどうみていらっしゃったのでしょうか。

 「劇団で貧乏していたときこっそり家を訪ねると、ご飯を食べさせてくれ、帰りがけに3000円くらい小遣いもくれました。当時の1000円は俺にとっては今の10万円の価値がありました。おふくろは亡くなる前に『あなたは後ろ盾を大切にして、真実を語りなさい』と言いました。よく俺のことを見てくれているんだなと思いました。俺も両親のように、子どもの選択には一切反対しません」

 ――次男の光成さんはJリーガーですね。

 「サッカーをやれなんてひと言も言ったことはないんです。フットサルの日本代表の選手が近所でサッカー教室を開いていて、その人の足技がすごいと言ってサッカーが好きになり、勝手にFC東京のジュニアユースに入りました。その後、サッカーが強い前橋育英高校に行くなど、自分で道を切り開きました」

 ――亡くなられたお父さんに似てきたと言われるとか。

 「おやじは、自分なりの基準がはっきりしていて他人の価値観を押しつけられるのが何より嫌いでした。風貌だけでなく、そんなところも引き継いでいます。彫刻の師匠である篠田守男さんに『人間は活字で学ぶか、自分より優れた人から学ぶか2つしか勉強手段はない』と教えてもらいました。おやじは本から学び、俺は人から学んだ。学び方は違いますが、おやじの『他人の気持ちを推し量れるような人間になれ』という言葉が人付き合いに生きています」

日本経済新聞夕刊2017年1月24日付]