藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ワナに注意。

ほぼ日より。
確かに「世界唯一の」とか「史上初の」というものが本物だ。
会社の理念とか社風とかでもそうだと思う。
「ナニワのロッキー」とか「東北のエース」とかいう「◯◯の」というのはいつしか消えてしまわないように要注意だ。

でもでも。
自分たちのやることなんて、そうそう目新しいものもない。

「自分オリジナルでやらなくちゃ」「自分だけ」「よそにはないもの」…と考えていくと「それ」が目的になってしまう。
いつしか「他者との差別」が到達点になっては本末転倒というものだ。

ごくごくちっちゃく「自分だけの」ではつまらない。

やりたいことをまっすぐに考えて、ずーっとそれを続けてやってみて…
結局よそにはないものにしたい。
気がついたら自分たちだけのものだったね、となりたいものです。

・そういえば、「ほぼ日」をはじめたころに、
「彼は日本のビル・ゲイツって呼ばれてるんですよ」
という青年を紹介されたことがあったなぁ。
すっかり忘れていたんだけれど、そんな人いたんだ?
その彼という人のこともだけれど、
「日本のビルゲイツ」という表現も、まったく聞かない。

「仙台のイチロー」だとか「イチロー2世」だとか、
ぼくの知らないところで呼ばれている人たちも含めて、
おそらく「イチロー」にたとえられる人も、
佃煮にできるほど数多くいたにちがいない。

そういえば、世の中にはいろんな「第2の」が登場する。
まぁ、全国各地に散らばった「どこそこ銀座」だとか、
「どこやら富士」なんていうのが典型なのだろうが、
思えば、そんなのは「言ったもん勝ち」だから、
どれだけ外れてようが責任を持つものもいない。

そして、ざっと「第2の」だの「全国の」を考えると、
そのままうまくいった例というのは、
ほとんどないのではないだろうか。
「だれかみたいな・すごい人」というのも、
「ここにもあるよ・すごいもの」というのも、
どうやったって、本家本物と比べられてしまう。
そして、同じ能力や特長で競わされるものだから、
なかなか勝つこともできず、
かといって、じぶんなりの力を芽ばえさせることもなく、
消えていくということが多いのだろうと思う。

企業の場合なんかだと、どうなのだろうね。
「第2の松下電器」とか「東北のユニクロ」だとか、
言われた企業はあったのかなぁ。
あったのかもしれないけれど、それは、
いずれ独自に成長していって、
なにかにたとえられない会社になったか、
しゅんと消えていったか、どちらかなんだろうな。

教訓、じぶんや、じぶんの属しているチームが、
「平成の○○○」だとか「第2の○○」
「日本の○○」なんて言われたら、一目散で逃げよう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにをするにも「じぶんだけ」ってのが、大事なんだよね。