藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今日、からつながる終末。

自分の1日とか、一年とか、一生とかで「何が満足ですか」などと言われると案外答えるのは難しい。
答えた内容が「自分そのもの」を表すことになってしまうから当然だ。
それはともかく。

今日1日の過ごし方のこと。
朝から、いや前日からイベントやプレゼンの準備があり。
そして当日を迎えて、それなりに色々あって何とかこなして気がつけばもう日は暮れている。
夜遅めに一人で一杯飲みながら"ふぅ"(今日は大変だったなぁ…)なんて心がつぶやく。

心地よい肉体労働のような感じで、心の健康には良さそうだが。
「これ」がずーっと続けば、それが自分の一生になる。
毎日、一生懸命に考え、体を動かし、人と接して仕事をする。
大事なことだと思う。

けれど気をつけたいのは「それでいいの」という俯瞰の眼である。
「いやー満足だ」という回顧が素直にできれば、全部よしだ。

農業家などに聞くと、「職業人生の満足度」は相当高いことが分かるけれど、自分たちのような「第三次ワーカー」はどうだろうか。

毎日毎日、ひたすら数字とか成績とかストレスと格闘する。
それが何十年と続いて老年になる。
案外「今日の延長線上に三十年後、五十年後の自分はいる」ということもある。

「今日が納得できる1日だったかどうか」という問いかけは、そのまま自分の終末に続いている問いなのではないだろうか。