藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

満足の相手は移ろう。

「満足度」という言葉。
これと付き合ってからもう三十年は経つ。
自分が社会人になりたての頃は「顧客満足度(customer satisfaction)」という造語が作られたばかりで、中小の経営者もCS,CSだと。
「CS経営」なんていう見出しがビジネス誌には踊っていた。
思えば経営も時代とともに「流行り」からは逃れられない部分がある(と思う)。

今に至っては従業員満足度(ES)なんていう言葉も聞くが、そもそも「そのものが購(あがな)われれば満足だった」時代と、今は違うようだ。

物欲だけではない世界。
そんな風に今の「満足度」という言葉は使われている。
資本主義もこの半世紀にどんどん進んで、ひたすらグローバル化した後に、今は「弛緩の時代」に入る入り口のような雰囲気がする。

ついに「物的な充足」がいの一番ではない時代に入ったのだ、とも聞く。
ほんの三十年前は「モノや金や権力」がかなり共通の価値観だったのに。

そういうパラダイム・シフト(て最近聞かないね)が起こると、御多分に洩れず「旧式」の人たちは大慌てするものだ。
今経済成長とか、賃金アップとかインフレとか、人口減とかのことを声高に叫ぶ人たちは「慌てている」のではないだろうか。
(つづく)