ほぼ日より。
なんだか、じぶんのことや、社会のことなど、
すべてがそれなんじゃないかとも思えた。
熱心やまじめが「過敏」を呼び寄せるしなぁ。
すべてがそれ。
「過敏」。
その本体は自分そのものだ。
自分の自我。
こいつが「本来の自分」をことごとく邪魔する。
自分はボクシングの世界王者や棋界の新星などとは程遠いけれど、そんな私にも自我はある。(嘆)
どうにも厄介だ。
こいつは、仕事の時にも現れるし、家族や友人との人間関係にも出現する。
たとえ自分が一人ぼっちで、ある意味自由だとしても「これでいいのか?」などと言いつつ現れる。
自分の心の中の影みたいなものた。
多分永久に離れることってないのだろう。
ふふん
ふふん。
ひとつ気付いたぞ。
名人とか巧者、と言われる人って
この「自我の抑え方」を知っている人のことなんじゃなかろうか。
自分の「自我」をあえて手なずける方法を知っているのだ。
自我は自分の心の相棒みたいなもので、多分なくなりはしない。
アスリートたちはだから、そいつを暴れないように操縦しているような気がする。
ちょっと先が見えてきたような気がします。
糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
今日のダーリン
・駒沢公園での「ドコノコオフ会」たのしかったなぁ。
いつも恒例というか、まずは雨の予報があって、
そしてそれを回避する結果になるというパターンでした。
いつも奇跡の大安売りみたいです。
で、オフ会が盛況だったこともうれしいんだけれど、
なんだろ、あの場そのものから立ちのぼる空気が、
人をたのしくさせてくる魔法のなにかを含んでいるよね。
なんの仕掛けもなく、ただ自由に集まって、
会ったり話したり笑ったり写真撮ったりしてるだけ。
人をたのしませるということについては、
たいてい真剣に計画する「ほぼ日」なのですが、
「ドコノコオフ会」と「手帳ミーティング」については、
ほとんどなーんにもしないでやってきています。
集ったそれぞれの人や犬や猫が、
なによりの自然なコンテンツだから、
あんまりいじらないほうがいいのかもしれませんね。
たくさんの犬からモテモテで、すっかりゴキゲンになり、
なんだか頭の疲れが、飛んでったような気がします。・夜には、気合いを入れすぎずに日本シリーズなどを経て、
録画した『村田諒太 父子でつかんだ世界王者』を観る。
内容については、ぜひ再放送を観てほしいのだが、
世界戦を前に一時的に不調に陥った村田選手が、
ある日をきっかけにそこから抜け出した後、
その原因に触れたことばに、ぼくは興味を持った。
「過敏」になっていた、というのだ。
「過敏」か、やはりそういうものかとか勝手に思いつつ、
続けて『天才棋士15歳の苦闘』という藤井聡太四段の
ドキュメンタリー録画を観ることにした。
この番組は、藤井四段の1年をずっと追っていたので、
はからずも連勝記録が止まってからの
彼の不調も描かれることになってしまった。
このなかでも、藤井四段はそこから抜け出して言った。
「過敏」になっていた、と。村田諒太の見つけたことばと藤井聡太の見つけたことば
が、どちらも同じ「過敏になっていた」だったこと。
なんだか、じぶんのことや、社会のことなど、
すべてがそれなんじゃないかとも思えた。
熱心やまじめが「過敏」を呼び寄せるしなぁ。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
過敏になると自然な力を出せなくなるぞ。フルスイングだ!