「テクノロジーが発達しても幸福感がないのはなぜか」という問いは深刻だ。
つまり「自分たちが何に幸福感を感じているのか」ということを問い直さねばならない。
労働者の生産性を上げるテクノロジーが必要ですが、現在は労働者の生産性を上げるよりも、新しいテクノロジーが労働者に取って代わる面の方が多い。
つまり「自分飛ばし」が起きてしまう。
「もっと働けばもっと稼げる」ということは、アメリカだけでなく、ほとんどの国の人が実行しました。
でもそれは新しい経済成長を生み出さなかった。
つまり「人的努力をはるかに超える技術」が常に出現してきた、ということだ。
新しい成長を生み出したのは、あとからやってきた新しいテクノロジーです。
ただ、そのテクノロジーは非常に破壊的であり、どう関わったらいいのか、正確にはわからないまま現在に至っています。
これからAIやIoTでますます「破壊的なテクノロジー」が出てくる様子だ。
「もっと働いて頑張ろう」という軸ではない思考を持たないと、これからの時代にうまく合わせられないのかもしれない。
破壊的だが、テクノロジーを注視するしかないような気がする。
自分たち人間の醍醐味は、それからだと思う。
テクノロジーが発達しても幸福感がないのはなぜか
大野和基(国際ジャーナリスト)ダニエル・コーエン氏は、フランスを代表する経済学者であり、同じく経済学者のジャック・アタリ氏と並び、欧州を代表する思想家である。
エリート校であるパリ高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)の経済学部長で、2006年には、『21世紀の資本』(みすず書房)の著者トマ・ピケティ氏らとパリ経済学校を設立した。経済成長と幸福の関係は避けては通れないテーマであるが、現代においては、経済成長に比例して必ずしも幸福を感じる人は増えていない。テクノロジーが発達しても幸福感がない。なぜだろうか。(取材・文=大野和基)
―─テクノロジーの急速な発達にもかかわらず、なぜ経済成長が低迷していると思いますか。
コーエン これはある種のミステリーですが、重要な問題です。新しいテクノロジーが活況を呈しているのに、なぜ経済成長が爆発的に起こらず、下降気味のように見えるのか。新しいテクノロジーが人間労働を補完する方法を見つけるまでには時間がかかる、ということです。
成長を維持するには、テクノロジーだけでは十分ではありません。労働者の生産性を上げるテクノロジーが必要ですが、現在は労働者の生産性を上げるよりも、新しいテクノロジーが労働者に取って代わる面の方が多い。
なぜアメリカで格差がこれほど拡大しているのか。新しいテクノロジーから恩恵を受ける人はごくわずかです。企業を掌握する経営者や投資家(資本家)は恩恵を受けます。
他方、秘書の仕事一つとっても、それがコンピュータでできてしまうものであれば、もう必要ないかもしれません。新しいテクノロジーは、そういう職業を脅かすものになっている。
もちろん、テクノロジーが取って代わることができない職業に就けば、脅かされることはありません。老人介護もロボットだけでは無理です。そういう、「人対人」の仕事は消えません。
つまりは、テクノロジーが多くの格差をもたらし、多くの人が取り残された、ということです。そういう人たちに対し、テクノロジーは何の利益ももたらさなかったと解釈できます。
直接テクノロジーの恩恵を受けている人の生産性は向上しても、その範囲は限られるということです。(1870年から1970年の間に起きたような)歴史をつくったテクノロジーは、その恩恵が中流階級にも広く行き渡りました。一方で新しいテクノロジーは、その恩恵が中流階級にはそこまで行き渡っていないというのが私の解釈です。
─―働いてもっと稼ぎたいというのは、人間の根源的な欲望ですが、これは経済成長に寄与しませんか。
コーエン 人間は基本的生活にかかわる欲求を満たすと、あるいはそれ以前の段階であっても、激しい欲望を抱くようになるものです。何かを達成すると、さらに欲望が出てきます。われわれが行き着きたいところには際限がないということです。
この50年間、われわれの文明が混乱しているのは、この際限のない欲望も原因のひとつだと思われます。50年前を見てみましょう。1968年5月のフランスでは学生運動が活発でした。日本でもドイツでもそうです。アメリカではバークレーでベトナム戦争に反対するデモがありました。
産業文明が終焉を迎えているのではないか、という感覚が当時はあった。次に一体何が起きるのだろう、とみんなが思っていた。パリのカルチェ・ラタンでの暴動に加わった学生などは、何か異なった時代へ移ることができると感じていたのです。
60年代の大衆文化は歌やドラッグ、セックスに溢れていました。ポスト物質主義の時代が来るとみんな感じていて、物質主義を超えて生きることを良しとしたのです。
しかし、この文化は長く続きませんでした。70年代になると職に就けるかを心配するようになった。経済成長率が下がり、60年代には軽蔑された文明の物質主義的な面が80年代には突如として重要になったのです。
生計を立てたければ、労働と努力は貴重であり、物質主義が終わったと思うべきではない、ということです。
こうした保守的な革命は現実に多くの格差をもたらしました。「働きたいという欲望によって、われわれは一つに団結したコミュニティを形成できる」という考え方が、今議論している格差の台頭によって、いわば粉砕されたのです。
つまり、経済成長は一般人には関係ないということです。一生懸命働けば、お金が儲かると信じること自体が未熟な考え方なのです。世界はそのように機能していません。
「もっと働けばもっと稼げる」ということは、アメリカだけでなく、ほとんどの国の人が実行しました。でもそれは新しい経済成長を生み出さなかった。
新しい成長を生み出したのは、あとからやってきた新しいテクノロジーです。ただ、そのテクノロジーは非常に破壊的であり、どう関わったらいいのか、正確にはわからないまま現在に至っています。
(本稿は、大野和基インタビュー・編『未来を読む』から一部抜粋、編集したものです)