藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

大事なことはなに。

はてなダイアリーが急遽サービス停止、ということで「はてなブログ」というところに移りました。
いっそ別のサービスにしようかとも思ったけれど、これまでのご恩もあるのでとりあえず移行してリダイレクトさせていただいています。
何か不都合かご意見があればください。
(ブログをいつまで書くのかも考えどころですが)
 *[次の世代に]みんながヒーロー。
IIJ鈴木会長のコラムより。
日本が本当に倒れてしまわないか。
人口減少とか長高齢化とか円高というのは「結果の話」だ。
なぜそれが起きたのか?をきちんと話さねば、議論は永遠に「上滑り」になる。
仕組みを変えていくには、法制度の変更から、あらゆる変化に対する意思決定において、およそ日本ほど対応の遅い先進国はない。
 
新しい事業をしようとすると、怖いくらいこのことを感じる。肌で。
特に大企業の人たちに。
積極性がない、というよりどこまでも「他人事」なのだ。 
「放っておけば、誰かがなんとかしてくれる」。
そんなマインドの人が集まったプロジェクトが成功した、というのは聞いたことがない。
国がそんなプロジェクトだとしたら、この国はどうなるのか。
時代を変えるような本質的な転機には、どこかで、過去を捨てるといった苦い施策を回避していては、すべてに後れを取ることは言うまでもない。
今の立場や身分を捨ててなお、次の何かを目指す、ということを自分たちは「ヒーロー」としてきたのではなかっただろうか?
今の時代にはどんな志が必要なのか、民間の立場からもぜひ考えたい。
行政も財界も、共感する人はそれから出てくるに違いない。
 

鎖国」こそ、日本の将来?

鈴木幸一 IIJ会長

2019年1月22日 6:30 [有料会員限定]
 
 
 
 
 
   
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雪はどこにも行かない、目指すところはない、
静かであること それが雪の幸福。
 
ロベルト・ヴァルザー
 
仕事始めが過ぎても、休日が続き過ぎるのか、街を歩いていても、なんとなく静かである。東京の集合住宅に数十年も暮らしているせいか、窓を閉め切れば、外の人の声や騒音が遮断され、部屋にいる限り、静かである。それは、雪が降り始めると、急に静寂に包まれるような静けさとは違う。外部と遮断する技術が進んだことで、音のない空間ができているだけである。雪が降り始める時、街や家々を包み込むように舞い降りる静寂ではない。人の気配があるのに、ひっそりと、音のない空間になった元日の午後、炬燵(こたつ)にもぐりこんで、本を読んでいた記憶が浮かぶ。年を取ると、突然、昔の何気ない光景が鮮烈な映像として蘇(よみがえ)る時がある。
 

経営者ブログ

ビジネス界のご意見番ともいえる一流経営者本人が政治・経済に関する日々の思いなどを綴ります。ビジネスパーソンの生き方のヒントが満載です。随時掲載
1月は、まめに出席をすれば、きりがない程、賀詞交歓会に出る羽目になるのだが、時間が見つからないといった言い訳をして、できるだけ、省略してしまう。それでも、いくつかの会には出席して、仕事付き合いの知人と、新年の挨拶をし、来賓の方の挨拶を聞き、乾杯をする。こうした仕来りに何の意味があるのかなどと、考えずに、顔を出すのが賀詞交歓会である。
業界が業界だからか、今年は、壇上で話す政治家さんの挨拶も、必ず、AI、5G、IoTという言葉が繰り返されたような気がする。残念ながら、流行りの言葉となったこれらのキーワードの意味を理解して話しているとは思えないのだが、深い理解がないままに、だれもが、気軽に口にするようになれば、その利用も拡大するかもしれない。理解をしているかどうかなど気にせずに、聞き流せばいいのだが、たまに、私が壇上で挨拶をしないといけない場になると、ついつい子供っぽさが出て、これらの言葉を気軽に振り回す人の挨拶に対し、やさしい声で、辛辣な言葉を吐いてしまうことがある。
 
鈴木幸一(すずき・こういち)1946年9月生まれ。国内インターネットサービスの草分け。インターネットイニシアティブ(IIJ)を設立し、郵政省(現総務省)との激しいやりとりの末、93年にネット接続サービスを開始。後に続くネット企業に道をひらいた業界の重鎮。酒、タバコ、音楽と読書を愛し、毎春、東京・上野で音楽祭を開催する。近著に「日本インターネット書紀」がある。
「AI、IoT、5G、他にもITの世界ではキーワードとなる技術はたくさんありますが、これらのキーワードを理解し、世界に率先して日本が利用するようになるには、行政から企業、人々の暮らし方に至るまで、仕組み自体を変えなければいけない。仕組みを変えていくには、法制度の変更から、あらゆる変化に対する意思決定において、およそ日本ほど対応の遅い先進国はない。巨大な技術革新が続くIT分野における日本のもっとも重要な課題は、仕組み自体を変えることについて、極めてコンサバティブであり、その体質が世界に後れを取ってしまうことが、決定的な要因で、まず、そこから改めていかなければいけない。常套句(じょうとうく)を並べてつなぎ合わせれば、挨拶の形にはなるけれど、何も変わらない」などといった話をしてしまい、せっかくのお祝い気分に水をかけてしまう。時代を変えるような本質的な転機には、どこかで、過去を捨てるといった苦い施策を回避していては、すべてに後れを取ることは言うまでもない。ITの日々の技術的な急速な進展に対応するには、あらゆる社会の仕組みの変化を実行していかない限り、後れを取るばかりとなる。もちろん、それが、より価値のある社会をつくるのかどうかは、別の話である。
日本だけ、年ごとに、新しい休日が生まれ、長い連休ができることに対して、危惧をする声が出るようになっている。正月明けに、円が瞬時にしろ104円になった動きを見て、世界の市場が開かれているのに、日本の市場だけがのんびりと閉まったままというのは、いくらなんでも、おかしいという話である。今年は5月の連休が10連休になるようだ。10連休の期間中、日本だけ、金融市場は閉じたままとなることに対する危惧の声は多いのだが、具体的な対応策はないままである。「日本の将来を俯瞰(ふかん)して、再び鎖国の道を模索しているのだ」と、達観している友人もいるのだが、皮肉にしか聞こえない。真面目に考えてみると、防衛とか、軍事的な脅威を思考の外に置けば、江戸時代の世界的にみても高度だった日本の文化や学問の時代に倣い、将来の日本が生きる道として、「鎖国」という選択肢もあるのではないかと思うこともある。二つの超大国、米国と中国の覇権争いは、ある意味で米ソの冷戦時代よりも根が深い争いになるはずである。そんな状況を見越して、島国という利点を生かして、豊かさとか、経済的な競争から離れて、ひたすら高度な文化や学問の世界において誇れる国づくりに邁進(まいしん)するというのも、正月の夢のひとつに添えて考えてみるのも悪い話ではないと思うのだが。「力と富」のない国に、歴史に残る文化や作品が生まれることはないという一般論を否定するわけではないが、休みの合間に仕事をするような日々になっている日本なのだから、ぼんやりと無駄な思考に耽(ふけ)って、時間をつぶすのも悪い話ではない気がする。
 
日暮れ前の枯木立
数十年も付き合い、昨年末にも、旧交を温め、歩行もよろよろとなるほど、楽しそうに飲んでいた、ひと回りほど年長の知人が、新春の2日の夜、心臓発作で亡くなった。訃報を知ったのは、仕事始めの4日だった。鹿児島に生まれ、高齢のご母堂が生きていられる間は、四季折々、いつも帰郷されては、こまごまと世話をして、ご母堂が亡くなられた後、小さなお宮までつくられほど、親思いで、昔気質の律義な人だった。といって、堅苦しさを微塵(みじん)も見せず、毎夜、飲みながら話すのが好きだった。仕事についても、優れた知見をひけらかすのではなく、裏方に徹していた方だった。あれだけ親思いの人だったのだが、優秀なご子息たちについては、「息子たちとは、めったに会うこともない。そんなもんでいい」と、多くを語らなかった。
日本は海に囲まれた島国という地政的な利点を生かして、平和なまま、一方では、海外文化の受容は特異な能力でこなしてきた国だが、明治維新や、敗戦も遠い昔の話になってしまった。「日本を制覇したら、韓国もというのは、秀吉の時代なら、当然のことですよね。秀吉の時代の世界をみれば、国内統一を成し遂げた英雄は、必ず隣の国に攻め入ったものですよ。日本には、世界標準だった行動を起こしたのが秀吉くらいのものだっただけの話ですね」。友人の放談である。第2次大戦後、欧州では、過去の忘却によって発展が始まったのだが、日本と韓国の関係だけは、過去の忘却を拒否しているようだ。