藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

訊くのは自分に

*[次の世代に]目標ないのが当たり前。

若い人が言う。

「やりたいことがないんです」

「目標が見つかりません」

そして中年の大人が言う。

「それはそうだろう」

「自分たちも今でもそうだ」

そして老人たちが言う。

「ワシらもずっとそうだった」

 どういうことか。

「これぞ我が生涯の目標」と言えるものを持っている人はむしろ少ない。

家業やたまたまの縁で出会った職業を生業にしている人が大勢を占めるのではないだろうか。

 

若い人にはぜひ大人たちに聞いてみて欲しい。

どんな選択をし、どんな決断をした人生だったのかと。

マスコミ業界の人、商社に行った人、医師や弁護士など。

 

そして『予めの目標』などないことに気づいてもらいたい。

日々生きていくうちに、偶然の出会いや縁に恵まれて「少しづつ」その先にやるべきことが見えてくる。

そんなことを繰り返していくうちに、目先ではなく「本当にいきたいところ」についてなんとなく分かってきたりする。

(あんまり分からないことも、間々ある)

歳を取るにつれて、そうした逡巡を繰り返し、なんとか「自分の方向」を見つけられればラッキーだ。

正解のない時代に、自分なりの行先を見つけるには"自分に訊く"というやり方がいいと思う。 

周囲に用意された回答は、もうないと思った方がいいだろう。