*[次の世代に]休息と余暇の違い。
東洋経済で「余暇」の重要性を説いたアリストテレスの慧眼という記事を目にした。
ギリシアの当時の植民地158ヶ所を調べて三つの統治形態に分類したという。
今を遡ること2400年前。
アリストテレスは「閑暇」(つまり余暇)が重要だと説いていたらしい。
アリストテレス曰(いわ)く、「閑暇」は仕事とは無関係に、個々人が時間・空間を費やして幸福を追求するために存在する。
それが「よき魂」を養うとすれば、いかに貴重かがわかるでしょう。
音楽や芸術の素養を身につけさせるのも、この目的から。
たしかに“遊戯”をするためではないのです。
つまり「仕事を続けるため」に必要なのは「休息」。
で仕事とか生産とかに関係なく、必要なのが「余暇」だという。
西洋の人たちはとかく合理的に「資産家と労働者」とか「善と悪」とか「民主主義と専制政治」という分類をしたがるが、このアリストテレスのいう「閑暇」というのはそういうものとは違う概念だ。
どちらかというと「日本の感覚に近い」感じがする。
アリストテレスも政治には「徳」が重要だ、と解いていたらしいがこの辺りも「日本っぽい」という気がする。
皆が争うから「争いを収めるために」いろんなルールを編み出して、「統治」というものに注目して、それぞれのスタイルに「足したり引いたり」を繰り返す。
恐らくどこまで行っても人々の「不満と満足」は収束はしない。
そういうものとは違う「徳」とか「和」とかいう観念が、ひょっとして「何周も回って」社会のスタンダードになるのではないか。
アリストテレスの記事を読んでいて、ふとそんな気になった。
欧米人がなぜか「東洋的なもの」に意味なく惹かれてしまうことの理由は、実はこの辺りにあるのではないだろうか。
アリストテレスと現在は、案外つながっているのかもしれない。