藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

変わらぬ性分

*[次の世代に]心が貧乏。

自分はそもそも旅行がそれほど好きではなく、 そもそも「関心のないことに注意を取られたくない」という、実に狭量な性質を持ってしまっている。

ただ「どこかへ行きたい」とか「何か面白いものに出会いに」とかいう"鷹揚な心"が無いヤツなのだ。

一言で言えば貧乏性なのだと思う。

ウォーキングにしても「ただ散歩」という風にはなれない。

「新しいお店探しに日本橋近辺を回るぞ」とか「一万歩必達」とか、何か目的がないと耐えられないのだ。

こういう気質は特に女性に嫌われるようで、過去を振り返ると自分にはちょっとそうした「偶然を楽しむような寛容さ」が欠けているようだ。(でも居酒屋で出会った人と楽しく話すことはあるんですが)

 

目的とか見返りとかがないと「動機が起きない」というのは昔からで、だから"勉強の先"に何があるのか分からなかったので力が湧かなかった。

 

自分には、ジョブズほどの才能はまるでないが、毎日のシャツが黒のTシャツばかりで済むのならそれでいいと思う。

 

けれど思う。

「あてのない思索」というものに憧れる。

自由に、まるで海岸を散歩するように自由に歩き、時には波と戯れたり「当て所なく過ごす」というのは、まるで夢で見るように自由な感じがする。

けれど「今日のメシはどうしよう」とか「あと五千歩は歩こう」とかいうセコさの自分には遠い話か。

 

残念ながら、貧乏性というのは歳をとってもなかなか治らないものらしい。

せめてこれから加速しないように注意したいと思う。