藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

独歩のとき

*[ウェブ進化論]インフラの限界を思う。
今回のコロナ騒ぎで、「都心の一極集中」にいろんな疑問を多くの人が感じ、そして"そもそもの
原点"に帰って考え直そうとしている。
「実にいい感じ」だと思う。

日本だけでなく、世界中の「資本主義の同調圧力」みたいなものが、あまりに強すぎた。

それが「本当に通勤が必要か」とか、職住接近で「都心に住む価値はどれほどあるのか」とか、「それまでは余りに既成概念が強すぎたこと」にも懐疑することができるようになったのは、コロナのもたらしたすごい収穫だろう。

 

そして最近、都心の電車に乗りながら「あまりにも巨大なインフラ」を改めて見てみると「これが本当に未来永劫、維持できるのだろうか」「維持する必要の水準を超えているのではないか」と思う。


間違いなく今の自分たちは「人類史上で最高に高エネルギーな維持」が必要なインフラに暮らしている。

この先もテクノロジーがひたすら発展し、各技術や量子技術などが進んでまだまだ自分たちのエネルギーは尽きないのかもしれないけれど。

 

けれどその目測を誤ったら、都市に張り巡らされた上下水道や、電気のインフラなどが徐々に風化するように壊れていくことになるだろう。
温暖化の問題も、まだ結論が出ていないし、「資本主義の自由競争」で極限にまで膨れ上がったエネルギー規模が、果たして減少に向かう事はこの先あるだろうか。


自分の生きている間には結論は出ない問題かもしれないが、将来を担う世代にはぜひそんな問題も考えてもらいたいと思う。

(どんどん高エネルギー消費型でいいんだよ、という声が聞こえてきそうだが、この声、”90年のバブル”の時とそっくりではないか。)
あのあと「平成の丸30年」を自分たちは悶々と過ごすことになったのですが。

日本人らしく「世界の同調」から独歩を始める時期なのではないだろうか。