藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

向こう側から

*[次の世代に]実は自由人。

自分が何かの「自由」を感じたのは社会人になった時だった。

サラリーマンだったが「自分で探して選んだ会社に入り、これからは好きなだけ働ける」ということが何かから「解き放たれたような気分」になったのだ。

実際は会社にはルールもあるし、ノルマもあるし「何もかも自由」なわけはないのだが、多分「完全に自分で選んだ人生」というものを初めて感じたのだと思う。

「選ぶ」という行為がこれほど大事なものだと初めて気づいた24歳なのだった。

ところが社会人になって仕事をし始めると、今度は「社会人の束縛」みたいなものが出てくる。

まさに「学生さんではなく社会人(てなにか面白い表現ですね)」なので、お勉強ではなく「成果を出す」とか「人間関係を円滑に」とか「信用を得る」とかいうことが必要になってくるわけだ。

そうして結婚して家族や親類が増えたり、人間関係が広がってくると「だんだんと何か重いものを背負っている」ような気分にもなる。

『しがらみ』というやつだ。

人知れず、悲壮感まで漂って「家庭を守る」とか「金を稼ぐ」とかいうことが"侵されざる掟"のような気分にもなっている人もいるだろう。

 

だからそんな気分になっている10年前の自分に言ってやりたい。

「案外、やりたいことを選んでいいんだよ」と。

今はしがらみに絡めてられているような気がしても、10年後からみたら「なにをそんなに硬直して考えていたんだろう」と思える。

「当事者」は一番大変なのだが、「先」から見てみればそれほど悩まなくてもいい、ということはよくあることだ。

 

一息ついて、ゆっくり考えましょう。