藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

景色考(1)

*[ウェブ進化論]いくつかの帯。

30歳前後の若い人と話していると「ああ、やっぱりあんまり先のことを心配していないなぁ」とつくづく感じて何やら微笑ましい。

40前後の人たちだと、それがかなり変わってくるから多分、その辺りに"何かの境目"があるのだと思う。

というよりも、大体その辺りが人生の後半戦の始まりだから、ということだけかもしれない。

コップの水が半分より減り出したら残りが気になってくるものだ。

生まれた時はいっぱいに満たされていたコップの水は、特に増えるということはなく「減ってゆく一方」なのだが、例えば少し減ったからといって幼い頃からそれを嘆く人はいない。

"半分"というのは、人間に何か心理的な影響を与えるポイントのようだ。

それはともかく。

 

できれば「コップの水の半分」よりもう少し細かく"半分"を感じられないものだろうか。

例えば「半分の半分」つまり4分の1だ。

人生が100年なら25年の帯。

80年なら20年の帯。

90年なら22.5年←これくらいがいいかも。

22.5歳、45歳、67.5歳、90歳。

 

このくらいの帯で、自分の今いる場所を考えてみると「次のおび」がイメージしやすくなるのではないだろうか。

(つづく)