藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

景色考(2)

*[ウェブ進化論]自分から見える景色。

若いか中年か壮年かで「この先のこと」については相当な差があるものだ。

若い人ほど先のことなど考えない。

それがセイシュン。

それはともかく。

 

年齢ではなく。

例えば、「ひたすらお金を稼ぐこと」に汲々としている人がいる。

若い頃の自分などはそうだった。

そうすると「稼いだ後」のことにまで気が回らない。

ともかく「稼ぐこと」が自分の目的になるわけだ。

 

そしてその次には「ただお金を貯めること」に汲々とする人がいる。

つまりお金を稼いで、ともかく多くの貯蓄をしようという人たちだ。

そうすると「お金を貯めること」が目的になるので、お金を貯めた後の事には考えが及ばない。

そしてそのまま最期を迎えたりするのは悲劇だろうか喜劇だろうか。

 

貯めたお金は使うためにある。

だからお金を稼ぎ始めたら、同時に「貯めたり使ったり」というイメージが重要になるのだ。

そしてようやく「お金が生きてくる」という段階になる。

 

これまでの多くの人は稼いだり、貯めたりしている間に「お金の虜」になってしまっていた。

 

ただ「お金があったら」ではなく「こんなことに使いたい」という動機があれば稼ぐ努力も苦にならないだろう。

 

「稼いだ後のステップ」も考えておけば、いきなり戸惑うこともない。

いつかのこと、ではなく「今そうなら」を考えておきたいと思う。