「人の労働がお金で買える」というのはまさに「人がお金に与している」という状態だと思うが、金額の多寡はともかく今でもまだ相当なシェアの人たちが「労働とお金」のルールに支配されている。
時間を使って労働をしている限り、投資家であろうと労働者であろうと「対価というお金を受け取ること」で評価されているのが今の社会ということだ。
近い未来にはAIやロボットの働きで「労働」というのが極限までなくなる世界が到来するだろうけれど、そうなるとようやく「時間とお金」という概念は一変するのではないだろうか。
人が100年ほど生きるとして、「もう労働というものにその貴重な時間を使う必要はなくなる」のだとすると、「時間いくら」で自分たちは働く必要はない。
そもそも「労働的な」仕事がなくなってしまっているからようやく「完全にフリーな人たち」が世の中の主流になるだろう。
つまり「労働者とか公務員とかホワイトカラー」という工数的な仕事をする人が必要なくなれば、そこからが人間が「本来は何をしたいのか」を考えるフェーズに入るのではないだろうか。
つまり「本当の人間らしさ」は「労働から解放された時点」から始まるような気がする。
今「仕事がなくなったら何をしますか?」と問われて自分たちが狼狽するのも無理はない。
ようやくこれから「本当の自由時間」を過ごす時代が来るのだと考えてみてはどうだろうか。