藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時給という悪魔(3)

*[ウェブ進化論]呪縛は解けるもの。

若い頃には時給600円で時間の許す限り働いていた自分だが、年取ればそんな価値観は変わってくるものだ。

 

今は時給1000円でも2000円でも5000円でも、いや値段は問題ではない。

その代わりにやりたいことなら、時給はなくても構わないと思う。

思えば、あの若いころの「自分の時間をお金に変えたい気持ち」というのは何だったのだろうか。

それが資本主義、と言えばそれまでだが。

 

「時給というシステム」はそういう意味で悪魔的である。

お金は何かをするための「かなり万能な手段」なのだが、いつの間にかその手段が「目的」に変わってしまう。

そして自分たちはあっという間に「お金の奴隷」になってしまうのだ。

 

けれどどんな人にも最期が迫ってくる。

そうすると、どこかでハッと正気に帰り「時給ではない自分の気持ち」に気がつく人もいるのだ。

だからそういう意味で「お金とか資本の力」というのは恐ろしい。

 

関係する人たちの人生を一変させてしまうくらいの影響力を持っていると言っていいだろう。

そして、そのくらいの「恐ろしい相手」だから、そのことを理解して付き合っていけるかどうかが、自分たちの"人生のクオリティ(満足度)"を左右するのだ。

 

「お金に関わり、けれども捉われず」という境地に至らないと、最期まで呪縛から解かれない人も多い。

 

若い人にはそんな"大人の物語"を残しておく必要があるだろう。