成功という言葉。
これまでに何度か、人から言われたことがある。
「成功者ですよね。」
とんでもない!といつも「いかに成功していないか」とか「いかに財産などないか」とか叩きつけるような過剰反応をしてきたが。
そういえば、ごく親しい友人からも「もう一生食べる分くらいは稼いだのでしょ?」と言われたこともある。
他人の目、というのは存外いい加減なものだ。
(あと「金持ち父さん」ではないが、意外な人が堅実に蓄えをしていたりする。何にしても「勤勉」は最大の武器だ。)
でそんなことが言いたいのではなく。
成功、とかいわんや「勝ち組」などという表現に強い抵抗を感じる。
何でそんなことをブチブチいっとるのかというと、また若い人のコメントに多いのだ。
安易な目標
・勝ち組になるのはどんな努力が必要ですか?
(どうやって勝ち組に入りましたか?)
・成功の秘訣は?
というような即物的な質問が多い。
なんだかカンに触るというか、気味が悪い。
勝ち組、とは何か。
負け組、て誰か。
負けた人はどうするのか。
勝敗の後に何が残るのか。
大体、人生とか仕事とかって勝負なのか?
成功という幻想
せいこう【成功】
(1)仕事・計画などがうまくいくこと。目的を達成すること。
⇔失敗
「実験が―する」
(2)相当な地位や財産を得ること。
「実業界で―する」「―者」
(3)功を積むこと。年功。
(大辞林より)
成功、とは辞書の意のとおり、目標の達成や相当な財産を作ること。
また「功」とは手柄のことだ。
「計画の達成」には「きちんと実行すること」以外にないし、
「相当な財産」が必要なら「稼ぐ」しかない。
そこに何かの秘訣などなく、ただただ「原因と結果」が横たわっているだけだ。
中身のない株式上場や派手なトレーダの話を聞き(扇情的にマスコミも報道し過ぎ)、何か一足飛びに「そんな」状態になる、とでも思っているらしいのはおかしく。
そうではなく「積み上げた結果」が成功に見えるのだ、ということを自分たちはもっと言わねばならぬ。
オッサンのお説教みたいな話が多いが、自分もちょい前まで「成功希望組み」だったのだ。
だから恥を押して書いている。
でもそれが分かったら「成功への道」は見えたも同然、とも思うのだが。
もうもやもやした見通しではない。
道ははっきり見えているのだから。
社会に対する「不安の霧」もずい分晴れるのでは、と思う。