藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています


自分なぞが秋葉原の通り魔事件と、世間の関係などを考えてみても正解は導けぬだろうが。


どうにも引っかかる。

ここ最近の「一方的な理屈の殺人」や「無差別殺人」。

一見「はっきりした動機」のないこれらの事件はそれ自体がとても歪(いびつ)だ。


空腹で食べ物が欲しいから「盗む」。
これは動物もやっている。
どちらかというと彼らの世界の方が食うか、食われるか、だ。


そう考えると、地球上の生き物の中で唯一「人類」がもたらした「文明」というのが結局今の自分たちの「迷い」を作りだしていないか。
(蟻の文明、とかサメの文明、とかはないよね)


ヒト以外の動物は、空腹になると、他の者を捕食する。
空腹を満たすと、繁殖する。


そんなシンプルな法則に従っている。

人は、文字を発明し、農業をし、産業革命まで起こして、一見発展しているように見える。
が、「自らの空腹を満たすため」以外の「欲」を同時に作り出してしまった。

そんなもののために、人生に悩み、「食べるため」以外のさまざまな役割を作りだし、インターネットなどを発明して現在にいたる。


最大の産物は「サービス業」ではないか。


結局何も解決にはなりはしないが、最近の「理不尽系」事件を見ていて、つくづく「反自然」の所産ではないか、という感情を禁じ得ない。
またそんな種は自分たちの日常にもゴロゴロ転がっているのだと思う。


何とか、後世を自然に。
いや後世に自然を、か。


「自然に逆らわない価値観」のようなものを伝えたいと思うのだ。