藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最大の戦い

ほぼ日より。
スマートフォンは100年に一度の発明やも、との指摘。
確かにデジタル機器の発展のおかげで「小さな箱」で無限のコンテンツが持ち運び可能になった。
そして決定的なのはそのデジタルの箱がネットに繋がっていることだ。
ただの「魔法の箱」がドラえもんのポケットになってしまった。
もう"閉じた存在"ではなくなったのだ。

無限の世界への入り口となった箱は、その無限性から、お金の決済や送金もできるし、読書もメールも音楽も電話もできる道具になった。

そうだ。
デジタルの世界は、急速に「量」という概念を自分たちから奪いつつある。

無間地獄。
そんな言葉が頭をよぎる。
「量が制限されない」世界。
無限に食らうことができる財布を手に入れて、自分たちは「それ」とどう付き合うのだろうか。
あるいは「それ」に取り憑かれて滅んでしまうのだろうか。

「衣食住」以外は、全てこの箱に支配されるシナリオが見える気がするのは自分だけだろうか。

人はこの怪物とどう付き合っていくのだろう。
思えば「人と科学」とか「人と文明」というのはこういうことの繰り返しなのかもしれない。

手にあまるサイズの"相手"を前にして、いつも四苦八苦しながら格闘している。
今度の戦いはこれまでで一番厳しそうだ。

・いつごろかまでの旅行にくらべて、
 このごろしている旅行は、
 ずいぶんと荷物が少なくなった。

 理由は、わりにはっきりしている。
 ひとつは、大きな荷物を運ぶようなときには、
 クロネコさんに頼んで、前もって送っているからだ。
 もうひとつは、音楽のCDと、読もうとする本を、
 荷物のなかに入れなくてもよくなったからだ。
 音楽も、書籍も、iPodiPhoneのなかに、
 たっぷり入っている。
 かつての長めの休暇旅行なんてときには、
 荷物の重さの大部分は本だったし、
 選び抜いたつもりでも
 けっこうな枚数になるCDが、邪魔の素だった。
 それがなくなっただけで、旅はずいぶん軽くなった。

・もう文明の進化なんていらないとか、
 たいていのものごとは行き詰っているとか、
 思ったりも言ったりもしているけれど、
 持ち歩ける音楽と書籍って、昔はなかったし、
 つくって売り出してくれて実にありがたかった。
 いやなにその、こういうタイプのものを、
 なんでもありがたがるつもりはないんだよ。
 でも、よかったと思えることもやっぱりある。

・で、「他になにがある?」とあらためて考えると、
 あんまり思いつかないんだよなぁ。
 駅の改札口が無人の自動化されたり、
 フライパンで目玉焼きがはりつかなくなったり、
 わるくはないけどすごいなぁとは思わない。
 それらにくらべると、「スマホ」ってやつの発達は、
 異次元というくらいおまけだらけに思える。
 懐中電灯だって、電卓だって、カメラだってついて、
 メールもできて、なんと電話までできるんだからね。
 旅の荷物が軽くなったどころじゃなかったわ。

ネパールの山奥に行ってきた人が言ってたけれど、
そんな土地で暮らしてるおかみさんも、
いつでも「スマホ」を持ち歩いてるというものね〜。

今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ここ100年の最大ヒット商品って、これだったのかもね。