藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

全員の不安感


G7が終わり、また週明けが来る。

「重要な金融機関の破綻を避けるため、あらゆる可能な手段をとる」という悲惨なコメント。


もう恥も外聞もなく。


ようするに「あらゆる銀行国有化宣言」。
しかし、いかに金融システムを守るため、とはいえそれで正しいのだろうか。


投資を生業とする「商売人」とか、投機に走った人々、とかも一緒に「税金で保護」することになる。
結局不透明ではないか、と思う。


日曜のうちに、イギリスの大手銀は政府からの資本注入。
350億ポンド、というから×168=5.88兆円、とまたとてつもない。


自然科学とはよくしたものだ。

あのレントゲンの画像の読解よろしく、どこまでが商業銀行の所作で、どこからが投機マネーの仕業なのか。
先物取引のどこがヘッジ目的で、どこが利ざや目的か。


どれも、まだらでよく分からぬ。
まさに仮想と現実がまじりあってしまった。


あとの祭りか。


いったん投機資金の世界、はお上の預かり、となってしばらくは大人しくするのだろう。


それにしても「投機資金と、リアル経済」を巻き込んでの同一線上でのゲームはひどかった。
最後は一般市民の生活をも蝕む、ガンのようになってしまった。


教訓は、二度と両者を混ぜないこと、だろうと思う。

その意味ではリアル経済は物々交換に戻るのが最も潔白だろう。


あるいは、投機に回せるマネーとの別物扱いか。

カネという万能で抽象化可能なものを発明するから、それ自身が独り歩きした。



お米や白菜を「貸す」。


それに利子などなくてよい。

顔の見えない人などに貸そうとするから「余分なリスクの担保」などを考えるようになる。


サラ金無人くん、reitのような不動産の証券化
いろいろ紆余曲折してきたけれど、結局数百年前の「頼母子(たのもし)講」。


ご近所でお金を出し合い、顔見知りにだけ貸し合う「マイクロファイナンス」。
あの世界に結局はもどるのだろう。


自分たちは壮大な空回りをして、しかしそれで経験してようやく納得して「元のさや」に収まるのかもしれぬ。


そう、環境問題だってそんな気配が濃厚だ。


CO2排出量とか言ったって、結局文明を進めぬことが一番の策だ、と最近の我われは気付きつつある。


あとはどう世界に広げていくか、ということ。


人はよくよく苦労する種族なのだろうらしい。