藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ヒーローは皆のものに。



ブルース・リーが32歳で急逝してから、もう36年が経つという。
葬儀のニュースを見ていた自分がいるわけで、そりゃ年も取るわ、とアホな感慨にふけるひと時。


で、モーテル化してしまっていたリー宅が、未だ冷めやらぬファンの声と所有者の篤志で「記念館」に生まれ変わるという。
一つのこうした「好意」が連鎖していくさまが面白い。

館の所有者と。
多くのファンと。
遺族と。
香港の行政府と。
道家たちと。
コンテンツ(出演映画など)と


がコラボする。
記念碑が経ち、道場があり、記念ホールのある博物館になるという。そして

興味深いのは、こうした青写真を基に博物館のデザインを公募することだろう。


 香港の政府当局によると、公募したデザインはブルース・リーの娘、シャノン・リーさんのほか、建築家らによる委員会で選考し、11月か12月に最終的に採用される作品が発表される。賞金は1万3000ドル。

ギャラの多寡ではない。
そして極めつけは、香港行政府主導による「記念映画の制作」である。

香港のベテラン映画監督、ウン・シー・ユアン監督がプロデュース。
映画「ミッション:インポッシブル2」で知られる香港育ちのジョン・ウー監督や、ブルース・リーの出演作品を手がけた香港の映画プロデューサーのレイモンド・チョー氏、さらに遺族らのインタビューを交え、香港の力を結集した“意欲作”のようだ。


遺族もこの動きに快諾の意を表したという。

誰かが自分のギャラを主張したり、著作権にこだわれば生まれない企画。

コンテンツのオープン化である。


オープン主義者の自分はこういう話が好きである。
今回のプロジェクトの利益は慈善事業に寄付されるともいう。


早く映画が見たいものだ。



【世界写真紀行】ラブモーテルから博物館に 香港のブルース・リー

ブルース・リー主演作品「燃えよドラゴン」(ロイター) 映画「燃えよドラゴン」で一躍、大スターの座にのし上がった俳優、ブルース・リー
映画の公開と同時に脳腫瘍(しゆよう)のため32歳の若さでこの世を去ってから36年を迎えた7月20日、香港にあるブルース・リーの元邸宅を博物館にし、そのデザインを公募すると伝えられた。
いまやラブモーテルと化しているという元邸宅。遺族や行政当局も一丸となり、地元スターの名声再建に乗り出している。


 ブルース・リーは1940年11月27日、米西海岸のサンフランシスコで、米国を巡業していた中国系演劇役者の一家に次男として生まれた。
将来を暗示するかのようにその年は「辰年」だった。
3歳ですでにサンフランシスコで製作された映画に子役で出演したことがあるという。だが、カンフー映画スターへの道を歩み始めたのは8歳ごろに当時、英領だった香港に移り住んでからだ。

 その後、米国との間を行き来したものの、ブルース・リーは香港が生んだ大スターといわれる。
だが、AP通信によると、香港の元邸宅は現在、時間で部屋を貸すラブモーテルにまで落ちぶれてしまった。
亡くなる前の最後の邸宅といわれるだけに寂しい話だ。
そうした思いに動かされたのか、元邸宅を所有する富豪が博物館にしようと、香港特別行政区政府に元邸宅を寄付することを決めた。