藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

強い電話、そして優しい電話。

というニセリリース、は出張帰りの機内でうすボケた頭にふと浮かんだもの。はぁ。


ほんに、電話というのは、固定電話であればこそ、いやそれでもかなり「無粋」な存在で、「かかって来たが最後応答せねばならぬ」ということを当然のように要求してくる存在だった。
自分は長らくそんな風に脅威を感じていたが、あまり周囲ではそんな声は聞かない。(嘆)


相手の要件が分かっていて、でも応答の準備が整っていなかったりすると「あとでかけ直すって言って」とか「今はいません」とか言い訳をするハメに。
もはやこっちが悪人である。


同じことはかける側にも起こる。
「今電話していいかな、どうかなぁ」と彼女(彼氏)の家に電話するのに逡巡した思いは誰にもあるものだ。
え?もちろん固定電話の話。
仮定に電話が一台きりで、たいてい年頃の子を持つ家はオヤジかおふくろがイの一番に出て、「○○さんいますか?」「ハァ?どういう御用ですの?」というのは懐かしい青春の一場面である。


それはともかく。
特に相手が目上だったり、また一方的なこちらからのお願い事だったり、またぜーんぜん下らない用件で、かけるのも憚られるのだけれど、ちょっと声掛けてみようかな、という程度の動機だったり。


どんな場合でも、画一的に電話は鳴る。
律儀な人ほど応答する。
人ごみや電車のなかでも、食事や接客中でも、会議中やあるいはトイレの中でも。


電話の応答率でその人の人柄を占う「着信占い」はどうだろう。
自分はかなりブラックだ。(訝)←この段落意味なし


挙句、「あ?、今忙しいんだけど」とか言って切られた日には、かなり萎縮する。
そして、これも逆に作用する。


ブブブ…(着信)
プチッ
「はい。フジノです。」
「おお、何してる?」
「え、普通に会社ですけど」
「ちょっと夜会わない?」
「何かあったんですか?」
「いや、特に何もないけどさ。」
「あ、そうなんすか?」


という意味不明のやり取りに。
結構ゲンナリする。


もっと優しい電話に、強い電話に。


日本ですら、無差別殺人とか営利誘拐とかそんなに珍しいものではなくなってきた。
携帯電話で安全のライフラインを、というのは当然である。


だから「本当に緊急」な時には強制的にでも通話を通す。
それで通じなければ捜索開始、くらいの。
これは安全網としての、携帯。



そして日常用途。
この中でも

1.「緊急」
2.「急ぎ」
3.「できれば」
4.「お手すきなら」
5.「気が向けば」


くらいの色分けができれば、ずい分あの着信も優しモノになると思うのだが。
「何で電話したのに出ないの!!」というクレームは、本末転倒に思えるのだ。


そして無線機能へ

不特定多数に発信、受信、というとどうしても安全性とか、ルールとかが問題になるけれど。
「今日、目黒で四人で食事、いいイタリアンありませんか?一人五千円くらいで。」とか
「今ライオンでビール飲んでます、女性二人、テーブル二名空きアリ」とか。
(ライオンではそんなことしなくても、グループ同士相席になったりしますが)


「ただいまタイムセールしています!子供服が半額」とか
「今カウンターさん二名なら、待たずにコース用意できます。六千円より」とか。


ちょっと掲示板に似てなくもないけれど、まあ無線BBSみたいな感じ。
そんな無線コールも携帯電話に流れるようにしておけば、これはこれでまた楽しみが広がるだろう。
トラック野郎、地上版である。


いい音質の音楽が聴けたり、GPSやテレビがついたり、と高機能化もいいが「優しい電話」というのは登場しないものだろうか。


無線での恩恵、というのは今のアナログ感覚からはもっともっと発展して「ワイヤレス」な特徴をもっと出してゆくのではないか、と思う。
便利さが、不安感を凌駕してゆく時代、が本当の次世代の「交信網」なのではないか。


いま現代は、その試行過程の摩擦のただ中にいるのかもしれない。