藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の助言者。


昨日、東芝の携帯電話が、「たとえば出勤時には最寄りの駅の時刻表を出してくれる」というような「予測機能」の話をしたら。
ずい分色んな人が「それはいい」とか「とんでもない」という反響があって驚く。


ようするに、自分たちは「自分たちの日常に色々と助言もして欲しいし、でもプライバシーも大事だ」というような感覚に挟まれているらしいことが分かってきた。
「携帯電話なんかに何でも見透かされているのは嫌だ」という意見の一方で、
「どんどん自分のやりたいこととか、食べたいものとかを推薦してくれるのならいいではないか」という意見も多かった。


自分もどちらかというと後者である。
しかし・・・。


もっともっと携帯電話が密着したものになったらどうだろう。

身近な助言者。


例えば、高校生の時代から付き合ってきた携帯電話のチップ。
これは、自分の性格をずい分と知っている。
友人関係とか、買い物とか、家族との対話とか、行動範囲とか。
そして携帯電話での日常の会話も聞いている。


こういう記録をずーーーっと溜めこんで分析していたら。
自分にとってもかなり優良なアドバイザーが出来上がることになるかもしれない。


すなわち。
「おいおい、こんなメニューの食事ばかりしていては、栄養が偏るぞ」とか
「最近、あんまり勉強のこと考えてないな」とか
「そろそろ、進路のことを検討した方がいいんじゃないか」とか
「そろそろ彼女に告白した方がいいかもよ」とか。


一番自分に密着した状態で、一番冷静に事態を分析する存在。
将来の携帯はそんな「予想外の助言者」たれるソフトウェアの可能性を持っているかもしれない、と感じた。


親兄弟とも違う、圧倒的に身近な存在。
その存在が、「記憶力」とか「分析力」を持ったとたん、単なる機械以上のものになる可能性は捨てきれない。


さらにその先。


そして、その携帯チップが十代から始まり、何十年も一緒にいたらどうだろう。
親兄弟よりも、ずっと長い身近な存在。
しかも、絶えず「外の世界」と情報交換し、比較・分析できる存在である。
なにより客観的なアドバイザーになるかもしれない。



そしてそして。
もし、そんなに我われ「個人」に対して「メモリー」がぴっちり貼り付くような世の中になるのなら。
以前、ネットのアクセス履歴を分析するだけで、犯罪の犯人をある程度特定できるのではないか?という記事を書いたことがあるけれど。


携帯電話やネットの履歴が「あちら側」で統合されることがあれば。
その時ににこそ、人類は完全にデジタルでの管理が可能になるのではないか。と思う。
まだ今は、街中や、携帯電話や、pcや、交通機関などで、個別にデジタル処理される過程に、自分たちはいる。


だが。
いつしかこれが「一気に」統合される日が来れば。
あらゆるデジタル情報は、一気に処理され、その時には「デジタル分析」された自分たちは丸裸の状態で定義されるに違いない、と思う。


手塚治虫の世界で、それを許せない、というのも早計だろう。
そうなれば、自分の「人間としての客観的な位置」とか、これまでの「嘘のない足跡」とかが目に見えるようになる。
人としては、そんな「自分の客観視」は非常に重要なことで、またこれからの自分の生き方にも大きな影響を与えるように思う。


東芝の携帯電話からの飛躍だが。
コンピューターが普及しだして、ついには自分自身を見つめる「客観レコーダ的役割」がその最終的な役割になるのかもしれない。
要は、もっともアナログな人間に、メモリーが張りついたら、徹底的な分析が可能になった。
そんな状態である。


デジタルの切れ味、というのはそのくらいのレベルにまでは到達するのではないか、と思う。