藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生って結構大変。

他人様に人生を語れるほどのモンではないが、勝手に書き留めさせていただくと言う主旨で書いておく。

就職ってこんなに大変なものとは知らなかった。
私は何の職業を選べばいいのか。
結婚とは幸せになることなのではないのですか?

そんな声がとても多い。

例えば、義務教育を普通に終え、そこそこの仕事に就き、恋愛などして結婚して子供を儲けたりして、老いてゆく。

とただこの一行のような人生だとしても、『それはそれなりにとても』大変である。

それが、しかも実は決して「平凡」などではなく、現実には相当ドラマチックな愛憎劇あり、挫折あり、ハプニングあり。

結構、人生というのは「予想外」に訪れる事実に翻弄されるのが宿命、と言ってもいいのかもしれない。

例えば、親から生まれ、自分が子供を儲ける、というだけでも「上下」に相当な関係が生じる。

親の老後を見なければならないし、子供も好んで作ったにせよ育て上げねばならない。

ただ「生まれて、産んで」というだけでも自分の人生の相当部分を使って当たらねばならない、結構なプロジェクトなんである。
どれ一つとして安易でラクなものはない。


そして。
人生というか、自然界というのはさらに色んな事が起きる。

病気になったり、事故に遭ったり、もっと理不尽なアクシデントが発生したりする。

「そんなこと」にもリアルタイムに向き合って行かねばならない。

それが人生というものだ、というようなことを自分は三十代くらいまではまるで考えなかった。
また、決して他人と同じものがない、それが人生。とも思う。


若いころは、視界不良。
自分のこの先の色んな出来事とか、これからの人生に待ち受ける喜びとか、苦労とか、についてほぼ全く何も思い浮かばなかったけれど。
それでもそんなことは気にならなかった。


「普通」に暮らしてゆくだけでも、実はかなりの努力とテンションが必要だ、というのが分かってくるのは三十代後半なのではないだろうか。


これも学校では教わらない重要事項である。

ああ。