藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

言葉の重み(2)

*[次の世代に]
そのコメントが私人のものなのか、中央銀行総裁のものなのか、で伝わり方はずい分違う。
アメリカ大統領、という一人の人間が世界を震撼させることもある。
かなり有名なスピーカーのプレゼンテーションだって、冒頭で自己紹介が入ることが多い。
その人物の社会的な身分や、いわゆる業績などによって言葉に「重み」がつくのだ。
建前では「どんなテキストだってフラットに読む」とありたいところだが全然だ。
むしろバイアスだらけ、色眼鏡だらけである。
 
自分たちは知らず知らずにそうした何らかの「圧力」を伴ってコミュニケーションしているということになる。
今回のコロナ報道のように専門家も素人もぐちゃぐちゃに入り混じると、誰がどの部分で真実(に近しい意見)を言っているのか、もともとの着眼が悪くてポンコツな分析なのかが非常に分かりにくかった。
そこでだがそういう「個人のコメント」をスコアリングするシステムはできないだろうか。
自然言語処理は、かなりのレベルまで達しているというから「〇〇博士のこの部分の意見は非常に確度が高い。レベル5」とか。
「フジノが話している野球の評論は全く意味がない。0点」とか。
 
すでに科学系の論文などはスコアリングされているので、それを個人のアウトプット全体で集積していく試みである。
さらには言動を記録していくことで、その人の性質とかイデオロギー何かも分かれば実に便利で、何より「自分のそれ」を見ることで自分がどんな存在かが分かってくるだろう。
自分がどんなやつなのか? って結構大事なテーマだと思うのです。