藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

お勧めの職業はなんですか?


中高生とお話をしていて。
うーむ。
どうも覇気がない。
特に、ギラギラしていないというか。
何か生煮えな感じだ。
ちょっと方向感を欠く、とでも言えばいいか。


何故そんな感触なのかな、と思うと、まあ自分の時代も大したことはなかった。(呆)
単なる受験熱、とか就職熱のようなものにずい分影響を受けていたと思う。
だから今の学生さんたちとそんなに違わないはずなのにな・・・。


と思っていてふと気づく。
今の若者の様子は、「かつての二十歳前後の自分たち」ではなく、なんと「今の自分たちの心境」と同質なのである。
という風に見えてしかたない。
彼らは、ずっと若いのに、精神的には枯れているようだ。


ほんの二十年前の時代と今では何が違うか。

それは「経済成長に対する信頼」だと思う。


少なくとも、自分たちが就職する時期、「経済的に成功すること」に異を唱える人は主流派にはいなかった。

それはごく当たり前のゴールとして、「言わずもがな」だったと思う。
一流企業に入社し、そのままエリートコースを走るとか、資格を取ってそれに頼るとか、まあいわゆる「ヘタレ」マインドは先行逃げ切り型のライフスタイルとしては厳然とあったのだと思う。


『だから、偏差値上げて、上の大学に行かなきゃダメだ』という論理には、どうしても自分はなじめなかったことを思い出す。


良い会社、大企業に入るために大学に入り、またそのためにいい高校を目指す。
そのための学問なら「そんな程度」の価値しかないのではないか。
「学歴と職業を結び付ける」ような出世街道の作り方には、無意識に拒否反応があった。

自分の気持ち。


そして反対に。
もの作りがしたい、とか音楽を追求したい、という人は「他人の流言」からは影響を受けにくい。
つまり、そういう思考なしに、「働くこと」に対して「ともかく良い会社に入ったのだから、後はもう会社まかせでいいだろう」という意識で主体性のない場合、思考の軸は、最悪に漂流するのではないか、と思う。


この辺りが、60-80年代に亘った高度成長期世代、との決定的な違いではないだろうか。
昔は土日も働く「モーレツ社員」こそが正しく、馬力があり、支持された時代。
今はそんな根性論、先々の楽観論では「将来」は語れない。(というか伝わらないし)


そんな今の先進国の持つ「最新のマインド」を、今の若い人は敏感に感じているのだと思う。
受験にせよ、遊びにせよ、「がむしゃらに」というスタイルは受け入れられにくいように見えるのだ。


それはともかく。


仕事の選び方は会社頼みでなく


二十年前も今も、ソニーJTB全日空は人気企業である。
だがこの三社には共通するマインドはない。(接客マインドとか、とかクリエイティヴ、とかいうのは別にして)
そこには必ず大企業という、不況に強い「優良企業」を選んで、自らの安全を図る(保身の)心理があったのだろうと思う。


まず、大きな選択。
「寄る辺」としての会社選び、を自分は重視するのか否か。つまり

「会社ありき」か「仕事ありき」か。


そんなシンプルなところから職業選びは出発するのではないか。
いろんなタイミングが合って「仕事ありき」から「起業」へと発展する人もいる。
この場合も「起業ありき」では決してない。

いろんな、過去の「愚かな轍」を踏んできた自分としては、この「仕事ありき」のマインドに少しでも多くの学生さんが戻ってくれれば、と願って止まない。

資本主義社会の、今の会社というのは、決して「会社頼み」という期待に応えていける組織ではない。
やはり「合理性」を主軸に考えねば、なかなか調和をとるのが難しいのであろうと思う。


二十年も経って、上場企業にいながら、「会社は変わった。冷たい」という事態に晒されれば、最も深刻なのは自分とその周囲である。
「お勧めの職業」という話題がここまで逸れてしまったが。


※明日は「だからね、お勧めは・・・」という話をようやく書こうと思っている。