藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

幸せの伝染。


似たような奴らは群をなす。


だからある人物のことが知りたければ、その人物の周囲にいる人たちを見ればよい。
似たような性質の連中は、何故だか集まって独特のグループ臭を放つようになる。という話。


それはともかく。
老いも若きも。人生は長く、しかし時間は貴重である。
平静に付き合う相手は選んだ方がよい。


でそれもともかく。
先日。
プロポーズされた直後、という若い女性と食事をする機会があった。(そのプロポーズのことは後から知ったのだが)
待ち合わせしていて、会った途端から「幸せオーラ」が出まくっていた。(最初の乾杯の時まで「それ」とは気付かなかったのだが)
そして彼女が彼氏と出会い、交際が進んで一気にプロポーズに至る話も非常に興味深いものがあったのだが、それもともかく。

幸せは伝播する。


自分は仲間内でもすこぶる評判が悪く、最早誰も私に食事のオッファーなどしなくなって幾久しい。
にもかかわらず「幸せオーラ燦々」の彼女とサシで食事をする事に至った、その過程には偶然のイタズラというよりも、何か強い因果を感じずにはいられなかった。
お店のシェフもオーラを感じて「今、一番きれいな時ですね」と声がかかったのも驚いた。
まあそれもともかく。

「どうぞお幸せに」とスタッフに見送られ、店を出たときには特に関係のない自分まで幸せになるような気分がして、また驚く。

彼女を見送り、地下鉄の入り口で別れたあと、階段に幸せオーラの「星屑」をキラキラと振りまきながら帰る後ろ姿を見送りながら、ハタと気付く。

類は友を呼ぶ。

だがそれだけではない。

「幸せなヤツは幸せを呼ぶ」。

同様に「不幸せなヤツは不幸を呼ぶ」。
ツキがツキを呼んだ、というようなことはあまり自分の経験にはないが、「幸せは伝染るのだ」と初めて自覚したのであった。
その証拠にそれからしばらく、自分の周囲の人は「楽しそう」である。


だから私はここしばらくはハッピーである。


あー幸せ。