藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

意識のすごさ。


人は心で生きている。
身体はハードで心はソフトウェアである。
だから「いいソフト」がインストールされていれば身体も「いい具合」になるし、ソフトがお粗末だと、ハードにも大きく影響する。

例えば人生をどう生きるか。


などという大仰なテーマがある。
そんな大きすぎることにばかり日々苦悩していては、日常生活に支障を来す。
だが、「そんなこと」を考える視点を持たないと、今度は「人生の航路」に間違いや後悔が残るだろう。


だっこちゃんやリカちゃん人形の生みの親がモノづくりの極意を体系化されたという。
そのエッセンスは

「経営計画を作る会社は多いが、人生計画を立てる人は少ない」。

ということだそうである。
計画の策定分野は

(1)倫理
(2)家庭
(3)知識
(4)健康
(5)美
(6)遊び心
(7)経済力――の七つの項目ごとに現状を分析し、目標や行動計画をつくる。

ということである。
こういうテーゼを揚げる人は多い。
ただ「なぜそんな問いかけが必要なのか」ということが分からないと、自分たちの心は反響しない。
心とは、そんな極めて情緒的なものなのである。

「喪失」を知らばこそ。

リカちゃんの生みの親、佐藤氏のきっかけは戦争だったという。

佐藤さんの原動力になっているのは、多くの仲間を失った戦争体験だという。
「生き残った自分は何のために生きているのか」。

戦争体験、という極めて極端な事件がきっかけになっている。
というかそういう不条理や理不尽なことほど「深く考え込む」ことの契機になるという皮肉でもある。


こういった「偉人」の感銘を受けるエピソードは、しばしば耳にする機会はあるものだが、なかなか自らごととして捉え、自分の行動の契機にするのは容易ではない。
人が「自らの行動を変えるほど」に至った動機、というのは、もっともっと自分たちにとっても貴重な材料とし得るのだ、と再認識したのであった。


タカラ創業者、86歳で博士号 ものづくりの極意体系化


「だっこちゃん」や「リカちゃん」の生みの親で玩具メーカー「タカラ」(現タカラトミー)創業者の佐藤安太(やすた)さん(86)が今春、山形大学大学院の博士課程を修了した。
約60年ぶりに再入学した母校に千葉県の自宅から3年間通学。現場経験を生かし、「ものづくり」や「人づくり」の伝承方法をまとめた。
学生生活を終えた佐藤さんは、もう次の夢を膨らませている。


 山形県米沢市で21日にあった学位記授与式。スーツ姿の佐藤さんはゆっくり登壇し、工学博士号を受け取った。
「お金では買えない宝物。86歳でこんな達成感を味わえるなんて幸せ」。最高齢の工学博士号取得者としてギネスブックに申請したという。


 1945(昭和20)年に米沢工業専門学校(現山形大)を卒業。
55年にタカラの前身会社を創業した。
00年に経営から退くまで「だっこちゃん」「チョロQ」など数々のヒット商品を世に送り出し、「おもちゃの王様」と呼ばれる。

 しかし、心残りがあった。

 「開発で身につけた創造力を後進に伝えられるよう体系化しようと思ったが、できなかった」

 退任後、自分なりの人材育成法を講演していたが、「ものづくりや人づくりを学術的にまとめたい」との思いが芽生えた。
ちょうど母校からの誘いもあり、07年に理工学研究科博士課程のものづくり技術経営学専攻に入った。

 「やるからには名誉博士でなく、きちんとやろうと思った」

 月1回ペースで千葉県から米沢市のキャンパスに通った。
都内のサテライト校の授業にも出席した。
息子世代の教授に習い、孫世代の学生と学んだ3年間のキャンパスライフ。
指導教官の高橋幸司教授(57)からは「私が先生で、あなたは弟子です」と何度も念を押された。
「従わないように見えるのかな」と佐藤さん。


佐藤流の人材育成で大切なことは、人生計画を立てること。
「経営計画を作る会社は多いが、人生計画を立てる人は少ない」。
(1)倫理
(2)家庭
(3)知識
(4)健康
(5)美
(6)遊び心
(7)経済力――の七つの項目ごとに現状を分析し、目標や行動計画をつくる。
「なんとなく生きている人たちに、自分探しをして欲しかった」とも。


 ものづくりにもこれを応用した。
項目ごとに社会の問題点などを考え、求められている商品を作り出す方法だ。
ベテラン社員が直感で生み出す商品開発は伝承しにくいが、佐藤流なら伝えられると考えた。


タカラトミーの社員や山形大生らに佐藤流でおもちゃを開発してもらう実験をし、「効果を確かめた」という。

佐藤さんの原動力になっているのは、多くの仲間を失った戦争体験だという。
「生き残った自分は何のために生きているのか」。
そう自問自答を繰り返してきた。
そして、3年間の学生生活で、次の目標が明確になった。
「このやり方を広め、多くの人に能力を発揮してもらいたい」


佐藤恵子)