藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

メモリアル。

糸川先生の業績。


仕事の半ばでは、評価が定まらず、「偉業」が没後にクローズアップされる、といのうのは近代以前ではよくあることだった。
糸川英夫先生はその著書群や、ベストセラーになった「逆転の発想」などで一時注目もあびたけれど、その評価は自分の思うところまだまだ低い。
「ロケット開発の父」と言われてはいるものの、その提言や人間論、若年世代へのメッセージなどは珠玉の宝物である。


自分は科学的な博士の功績よりも、日本人論、民族論、科学観や経済論といった「科学という専門分野以外」の氏の見識に非常に影響を受けた。
書物を読んで、身震いがするような感激を感じたのも糸川博士の書物が最初だと思う。
真面目な中でも、他人にない独特の着眼点を持ち、また「常識」と世間で言われていることを「まず疑ってかかる」というユニークな態度は生涯を通じて一貫していた。


博士の著作は多くあるが、絶版になったり、また古書店で再流通したりしている。
これから50〜100年、200年の後に、ふたたび大きく注目を集めるに違いないと思う。
時代を超え、世代を超え、「本当の提言」というのは受け継がれるに違いない。
ロケットだけが糸川業績ではないのだ。

糸川博士の遺産、大阪に眠る はやぶさ到達の小惑星に名
「日本のロケット開発の父」と呼ばれる故糸川英夫博士(1912〜99)。
6月に帰還した探査機「はやぶさ」が目指した小惑星にも名前が冠された博士の足跡をたどる大量の資料が大阪府枚方市の公民館に眠っている。
はやぶさの偉業を契機に、地元では記念館設立や展示の構想も持ち上がっている。


糸川博士の資料は段ボール箱で108箱分にのぼり、同市の穂谷公民館の一室に保管されている。
日本で初めて発射に成功したペンシルロケットの模型や50〜60年代に試作されたロケットの部品、博士所蔵の写真など様々。
東大生産技術研究所教授時代に考案したとみられる宇宙基地のイメージ図もある。


関係者によると、大量の資料が枚方で保管されるまでには曲折があった。
「過去に執着しない性格だった」という博士。
晩年に捨てられそうだった資料を弟子の研究者らがあわてて引き取ったという。


ただ大量すぎて保管場所に困り、一時は博士の記念施設をつくる計画があった愛知県武豊町で保管。
しかし計画は実現せず、99年2月に博士が死去すると、元東大技官の林紀幸さん(70)=東京都墨田区=が預かり、三重県伊勢市の資料館に置いた。


4年前に引き取りを申し出たのが枚方市穂谷区の前区長重村庄一さん(75)。
長年、宇宙に興味を抱いていた重村さんは資料の存在を聞き、「子供たちが宇宙に夢を抱くきっかけになれば」と譲り受けたという。


重村さんは「糸川英夫記念館」の開設を目指してNPO法人を設立。資金のめどは立っていないが、「約60億キロを旅して帰還したはやぶさの活躍で再び博士の偉業に注目が集まれば」と期待を寄せる。
枚方市の幹部も「はやぶさの話題もあって関心は高い。貴重な資料があれば展示に協力したい」と話す。
(小池暢)