藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

終章の過ごし方(その二)


今ついに「団塊の世代」がそのモーレツだったころの反動でやり玉に上がっている。
けれど、戦後のライフスタイルの確立、という意味では

「高度成長期」
「バブル期」
バブル崩壊後」
「ITバブル期」
「ITバブル崩壊後」
「デフレ期」
「戦後初の少子化期」
「ネット全盛時代」

など、「それ以後」の新しいライフスタイルについて、これから20年くらいのバンドで次々に問われてくるのだろうと思う。

それほど戦後以降の時代は「かつてない世代の経験」の連続なのだと思う。


「孤舟」で団塊世代の男性は、家庭の中に居場所をなくし、友人関係にも恵まれずに孤独に苛まれる。
けれどその姿は、既に今の若年、青年層にも見られるし、また家族関係の希薄化についても同様である。

これからの人生に必要なもの。

「孤舟」は(世代としては)初めての「孤独な船」だったかもしれないが、それ以降の「孤独な、希薄な人間関係」というのはこれからの我われの生活の共通した特徴になってゆくのではないだろうか。

自分の親や配偶者の面倒をどう見るのか(逆にどう見てもらえるのか)とか、
親子や親せきの関係をどうしてゆくのか、とかいう「遠い将来」のことだけではなく、

二十代、三十代から友人とか、恋人とか、家族とか親戚とか、同僚とか上司とか、そんな「関係社会」とのスタンスを予め心積もりせねばならないのが、戦後の社会の特徴のようである。


定年後も、いわんや定年前の五十代、四十代、三十代をも「楽しく、充実して過ごす」ためのライフスタイルは自分で編み出してゆかねばならない。
そういう意味では高校生くらいからは「人生の楽しみ方」というテーマの授業を、先輩の助言も採り入れて是非実施してはどうかと思う。


やはり先人の「ナマの声」は、自分たちに一番ストレートに届くのである。
少しづつでも「これからの話」をしていければと思う。