藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

成功のエッセンス。


デキないやつの特徴、などと不遜なタイトルでエントリーすると、やっぱり結構な批判の嵐。(嘆)
主に「オマエはそんなにできるわけ?」とか「ずい分お出来になるんですのね」というしら〜っとしたコメントが多い。
尤もではありますが、そんなつもり、ではないのです。

難しい定義


もともとはその逆のことを考えていた。

「出来る」とはどういう能力のことをいうのだろう? と。

いわゆる「成功者」と称される人の信条などを聞いて「なるほど」と膝を打ち、自分もそれを真似てみる、などはよくあることである。
そんな成功者たちの著作などを読んで、「何かそこから成功の秘訣を得たい」とか「ノウハウや奥義を吸い取ろう」と自分もよく思う。

だが、これまで色んな人の「成功談」を読んできたが、自分の日常が影響を受けるほどに効果のあったものはまぁ「皆無」である。

あまりにも燃費が悪い。
そんな自分に不思議感が充満してきたので、「出来る」とはどういう要素の能力なのか、ということがやけに気になったのである。

で、結論的には「成功者の言を聞いても、まずタメにならない」ということだと思う。(結局は)

生活習慣とか、座右の銘とか、勉強方法とかそういう「戦術レベル」の話をいくら聞いても「実」にはならない。
恐らくは、もっと根底にある「情熱とか思想的なもの」がそれら「戦術の核心」だからである。


ものの本にはよく書いてあるが、「英会話の上達法」だけを学んでも、それは皮相的なこと。
根本の、上達のための「強い動機」の存在なしには、いかな上達法も上滑るばかりである、ということは自分も嫌ほど経験済みである。


思えばヒーロー症候群、ようなものでずい分とその手の本を読み漁り、「形から入る」とばかりに色々と真似てきたけれど、ずい分回り道をしてしまったものである。

ネガティブ先生。


ところが。
ところがである。
成功の方法はそれほど見つけ難いものだったのに。

「いけないこと」はほぼ間違いなく「その行為そのものがバツ」というものが多い。

責任転嫁の体質や発言。
批判しかせぬ意志表明。
リスクだけを並べる評論家。
仕事のポーズの作り方。

成功のための習慣や方法がかなり「まちまち」なのに比して、これらの行為は「いかなる場面でもアウト!」というものばかりである。
その意味で「NGリスト」を作成し、まずそれらを排除することから始める、というのは中々に分かりやすいアプローチなのだ、と思ったのである。


だから「出来ないヤツの…」というようなことはこれからも気付くたびに書き留めておこうと思う。


いや「そういう目」で見てみると、意外なほど多いことに気付く。
ぜひ自分だけの「NG習慣」を作ってみてはどうだろうか。


宝物のNGリスト、を作ろうか。