藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

見えてきた自分なりのこと。

自分くらいの世代がバブルの最後を知っている世代で、みんなが高級品とか派手な遊びに憧れていた。
「その時代の流行り」というのはもちろんあるし、「それ」に自分もだってかなり引き摺られているという気もするけれど。

それにしても「自分という一人の人間のこれまで」の中での「価値観の変わりよう」は自分自身でも驚きだ。
あと二十年もすれば、もっと違うものになるだろうけれど、何だか方向性は見えてきたような気がする、なんてのは勘違いだろうか。

その時代の流行りを追いかけるって「時代の価値観」でもあるだろうから、まるで悪いことでもないと思うけれど、そうした価値観ってどうしても「若い世代」が中心となって作られている気がする。

つまり自分の世代(五十代)が「(時代の価値観の)中心から外れつつあるな」というようなことを感じるのです。

とか言っても、地方の農業を指向してみるわけでもなし、相変わらず都会に住んでウロウロしているわけで、やっぱり二十年後のことはわからないのかもしれない。

せめて二十歳の自分には「こんな気持ちになるよ」と言ってやりたかった、などと思うがそんなの大きなお世話なのかもしれないが。
"クールジャパン"と言われる時代が来ることを、高度成長期の人たちは知らなかったかもしれないが、幕末・明治維新の人たちには当たり前のことかもしれない。

この先、二千年代の半ばに向けて地球上で「どんな価値観」がメジャーになっていくのか。

19世紀以降の激動を知っている世代としては、かなり面白い研究テーマになるのではないだろうか。
「時代の価値観」はそれほど大きく変わっていると思う。