藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ヘタれマインド、からの脱出。


「ヘタレ」という言葉を社会人になって再考したのは、島岡要さんの「研究者の仕事術」が契機だった。

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

それ以来、自分の頭の片隅に「ジッと」芽のように小さく残っていたが、この度の震災を契機に考えることとなった。

自分たちの人生は「ヘタレマインド」からの脱出、にこそあるのではないだろうか、ということである。

ヘタレ心、こそ自分の鏡。

あまり、これまで「それ」として真面目に考えたことがなかったが。

自分の人生はおよそ「ヘタレ心との戦い」
と言いつくせるのではないか? というのが話題の核心である。

幼時から義務教育、高校大学から社会人まで。
そして社会人になってからこれまで。(47歳!)
ずっと「先の安心=ヘタレ心」が自分のモチベーションにあったと思うのである。

ヘタレの構造。


ヘタレの「ヘタレたる所以(ゆえん)」は、その「逃げ切り狙い」にあると思う。
これまでの人生、何度か成功者と言われる億万長者に会ったことがあるが、驚いたことに、揃いもそろって「もう一生分の生活費はあるから」、あるいは「もう、これからは……」という口調。


完全に「余生モード」というか、精神的にリタイアしてしまっているのである。
もちろん、アグレッシブな成功者には、心から「まだまだこれから頑張るぞ」と言う人もいるが、「一般的な勝ち組」の人は驚くほど安定志向、安全路線なのである。
最近、ようやくそれが「逃げ切り思考・志向」であり、その内向き、消極路線に入った途端に、それまでその人を内から活性させてきた「輝き」が失せてしまう。
そして、安定路線に入った途端、多くの人が「事業」というよりは「財テク」とか「投資」にばかり目を向けるようになって、いま一つ上手くいかない、という例はひきもきらない。


人間「もうええか」とか「もうこれだけあれば…」という志向の渦に入った途端、その人の運は「逆回り」になるのではないだろうか。
そして通常は安定志向に入った途端に、財産は目減りし始め、今度はその「目減り」を目の当たりにして耐えられず、つまらぬ「小商売」などに手を出して、時間を無駄にするなどは非常にもったいないことである。


「ヘタレの構造」はどんな形でも現れる。

「この学校に入りさえすれば(あとは安定して…)」
「この会社に入りさえすりゃ(あとは楽して…)」
「彼(彼女)と結婚さえすりゃ」
「動機で最初に出世さえすりゃ」
「これだけ金を貯めときゃ」
「保険さえ掛けとけば」
「御墓がありゃあ…(安心して逝ける)」

誰の心の中にも安定志向はある。
だがその「安定」という魔物に取り憑かれ、そして取り殺されてはならない。
その「何か」を得たら、直ちに心を「ニュートラル」に戻さねばならぬ。
そして気負うことなく、そこから「再び先」を見るのである。
息切れするほど急ぐこともない、だけど安心して「その場にへたり込んで」しまってはいけない。


ヘタレ心との決別、こそ「自分の道を踏み外さない」ための極意なのである。